・・・上野リチさんがデザインしたガラスは14階に少し残されているだけです。しかし、多くのガラス面にリチさんを感じさせるデザインが施されているのは、うれしいことです。
・・・また、エレベータホールは、島野三秋さんのデザインを生かした壁面となっています。
・・・さて、建物の外壁には、これまで気づかなかったのですが、たくさんの蝶々がいるではありませんか。肉眼ではなかなか見えにくいのですが、写真を撮ってから気づくことも多々あります。年齢的に、見えにくくなってきていることも事実です。
・・・そろそろ大丸本館へ。
◆大丸
1717年(享保2年)下村彦右衛門正啓、京都伏見の生家に古着商「大文字屋」開業。(大丸創業)
1726年(享保11年)大坂木挽町北之丁に大坂店(おおさかだな)「松屋」を開店、現金正札販売をはじめる(現・心斎橋店所在地)。
1728年(享保13年)名古屋本町4丁目に名古屋店(なごやだな)を開店、初めて「大丸屋」を称する。(1910年 明治43年閉店)
1920年(大正9年)資本金1,200万円で「株式会社大丸呉服店」を設立。
1925年(大正14年)定款の営業目的を「百貨陳列販売業ほか」に改める。
1928年(昭和3年)商号を「株式会社大丸」に改める。
★大丸心斎橋店、建て替えへ・築81年「大正モダン建築」
完成から81年たつ大丸心斎橋店本館(大阪市中央区)が、建て替えられる見通しになった。近代の大阪を代表する歴史的建造物のひとつだが、老朽化に加え、周辺の百貨店が次々と増床・改装しており、対抗が必要になった。1933年に完成した本館は、米国出身の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの代表作のひとつ。アールデコやネオ・ゴシック様式を織り交ぜた「大正モダン建築」で知られる。大理石を多用し、玄関ホールの天井にはイスラム様式の幾何学模様アラベスクもみられる。45年の大阪大空襲で上層階を焼失したが、その後、雰囲気を保ったまま修復・増築された。ただ、最近は古さが目立っていた。そこで大丸松坂屋百貨店を傘下に持つJフロントリテイリングは、2014年4月10日発表の中期経営計画に「心斎橋地区再開発計画の具体化」を盛り込んだ。大丸松坂屋の好本達也社長は「本館建て替えを含め、前向きに検討している」と話す。南館、2009年にそごうから買いとった北館の改装とともに、16年度までに一体的な活性化策を固める。
◆大丸松坂屋百貨店
百貨店業界は人口減少や流通業界の変革のあおりを受け売り上げの減少に苦しみ、経営の効率化が求められている。そうした中でともに老舗として知名度があった大丸と松坂屋もこの波から逃れることができなくなり、生き残りをかけた模索を続けてきた。両社はともに老舗であること、地域競合が少ないことなどから経営統合した場合メリットがデメリットを上回ると判断。2007年3月に統合で合意し、同年9月3日に同社が発足した。経営統合時点の同グループのキャッチコピーは、「翔びたい想い(大丸のイメージキャラクターの孔雀)と、咲きたいこころ(松坂屋のイメージフラワーのカトレア)をひとつに。」であった。大丸が大阪を、松坂屋が名古屋を、それぞれ地盤としているため、どこに持株会社の本拠を置くか、また統合後の百貨店運営形態をどうするかに注目が集まったが、持株会社は知名度などを考慮し、登記上の本店は、松坂屋の銀座店に置く代わりに(後に同社の本社事務所は、大丸東京店近くの八重洲に設けられた)、経営の主導権は大丸側が握ること、また仕入れ・物流など共通化できる部分は共通化していくが、販売部門では従来通りとし、それぞれの独自性を維持することで落ち着いた。
2007年、株式会社松坂屋と経営統合。持株会社「J.フロント リテイリング株式会社」を設立。2010年3月1日には同社傘下の百貨店事業会社が合併し(旧松坂屋を存続会社として、旧大丸を合併)、新しい百貨店事業会社「株式会社大丸松坂屋百貨店」が発足した。
※2012年2月24日- 森トラストが保有するパルコの全株式(発行済株式の33.22%)を取得し、同社を持分法適用会社とする方針を発表。
・・・営業中に写真を撮るのはためらわれますので、受付で販売されている絵葉書を2種類購入しました。次回は、それを紹介しましょう。