◆旧新歌舞伎座/542-0076大阪市中央区難波4-3-25
1958年に竣工したRC造地下2階地上5階建て延べ1万1088平方㍍の建物。有名建築家の村野藤吾の代表作として長年親しまれてきた。老朽化していたことから09年6月に閉館、新歌舞伎座は10年9月に大阪・上本町に移転して再開場した。旧新歌舞伎座の敷地所有は大手信託銀行が06年6月に劇場を運営する新歌舞伎座から土地の管理や処分の信託を受け、12年3月29日にベルコが買収、施設の建て替えを検討していた。
★旧新歌舞伎座の建て替え工事「ベルコ難波ホテルプロジェクト」がいよいよ始まる。既存建屋の解体関連工事は鹿島建設が担当している。現在は建物の周辺を仮囲いが覆い、養生棚(落下防止棚)を設けている。冠婚葬祭王手のベルコ(本社・兵庫県西宮市津門川町1-1、齋藤斎代表)が12年3月に用地(約2200平方㍍)の取得を済ませており、既存建物の解体後に結婚式場やホテル、同社の本社などの機能を備えた複合施設を建設する。御堂筋の反対側の敷地には小規模な飲食店が軒を連ねているが、こちらも立ち退きが進んでおり、一体的な開発になりそうだ。
・・・もう一度、どうしても確かめておきたいものが、
◆「平和の塔・女神像」2009年(平成21)設置/作:日高正法
大阪大空襲で焦土と化した大阪の戦後復興のため1950年(昭和25年)「大阪の復興を象徴し、世界に誇れる彫刻作品を」と府や市、大阪商工会議所などで大阪府民らの寄付をもとに約300万円(当時)をかけて建てられた貴重な彫刻です。大丸心斎橋店前の東南角に建設、大丸心斎橋店外壁の拡張工事に伴い、戎橋の北詰のキリン会館前に移転。戎橋拡張工事に伴い、平成16年に撤去され倉庫で保管されていたが、市がシンボルにふさわしい移転場所を検討した結果、2009年(平成21年)南海難波駅前の広場に移転されました。彫刻家、日高正法さんは「芸術家の名を売るための作品ではない」とこの作品に自分の名前を入れなかった。このため女神像が戎橋近くに移転することが決まった際、大阪市が制作者を探し回ったというエピソードが残っています。
・・・横にあるステンレスの輪も誰かの作品かな?
◆「朗風」1953年(昭和28)設置/作:吉田久継
難波駅前に「平和記念」として1953(昭和28)年に建てられました。「朗風」という題が当時の大阪市長の書で刻まれています。立案・日本都市美推進連盟(錚々たるメンバーが名前を連ねています)、寄贈・美交社。御堂筋から西への道路を歩道にしたときここに移されました。
※吉田久継/明治21年12月12日生まれ。大正7年文展に初入選、9年「霊光」で帝展特選となり、のち帝展審査員。エッチングも手がけ、昭和4年洋風版画会創立に参加。日展評議員。昭和38年3月10日死去。74歳。東京出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。本名は久次。
・・・人も車も多いので、全方向からの撮影はなかなか難しい。
◆南海ビル(高島屋大阪店/南海なんば駅)登録年月日20110126
542-0076大阪市中央区難波5-12
御堂筋南端に位置する南海難波駅のターミナルビル。SRC造八階地下二階建。角を曲線で処理し、飾り壺を戴くコリント式の壁付円柱とアーチの連続で壁面を構成する。エントランス上部や屋上の装飾塔など随所に装飾が配され、華やかで格調高い外観を実現する。
ルネサンス様式の大建築は昭和7(1932)年の竣工。久野節建築事務所が設計しました。大阪・難波。南海、近鉄、阪神がターミナルを構え、地下鉄3路線が接続する鉄道の要衝の地であり、心斎橋、道頓堀、千日前など大阪きっての繁華街にも近いこの地は、大阪・ミナミの中心地となります。その中心ともいえる場所に、今回紹介する南海ビルディングがあります。この南海ビルディングには2つの顔を持っています。一つは「高島屋大阪店」としての顔。売上高は1000億円を超え、全国でも上位に入るトップクラスの大規模百貨店となります。そして、もう一つは、「南海なんば駅」としての顔。堺・和歌山・高野山・関西国際空港などに連絡する南海電鉄のターミナル駅として1日に25万人が利用する全国有数の私鉄駅なのです。
南海電気鉄道は1884(明治17)年、日本初の純粋な民間鉄道会社として大阪堺間鉄道(後に阪堺鉄道に社名変更)が設立されたのが起源となります。翌1885(明治18)年12月に難波―大和川間、1888(明治21)年には堺まで開業します。その後、数々の会社と合併することにより大阪・難波から大阪南部・和歌山及び高野山、更には関西国際空港などを結ぶ路線網を構築することになります。この南海電気鉄道の終着駅は一貫して難波駅でした。初代難波駅は木造土蔵造りの擬洋風建築の駅舎で、1888(明治21)年に火災で焼失します。その後、木造洋風の2代目の駅舎が建設されますが、1912(明治45)年に焼失します。そして、3代目の駅舎は辰野片岡建築事務所の設計により煉瓦造一部木造2階建ての洋風駅舎が建設されました。しかし、御堂筋の拡張工事が実施されていた昭和初期には、3代目の駅舎が手狭となっていました。そこで、今まで3代目まで単なる駅の機能しか持たせていなかったのを大規模なターミナルビルとして新たに計画しました。これが、現在につながる4代目難波駅となります。残念ながら内装は、戦後の駅ホームの移設や百貨店の改装工事によりほぼ失われたものの、外壁は当初の意匠を残しています。2011年に南海ビルディングは登録有形文化財として認定されました。
※髙島屋東京店/重文指定年月日20090630
東京都中央区日本橋2丁目4番1号
髙島屋東京店は、日本橋から銀座へ向かう中央通りに西面する街区に建つ。鉄骨鉄筋コンクリート造、地上8階建、地下3階建で、塔屋を設け、間口約65m、奥行約115m の規模を有する。髙島屋東京店は、中央通りに面する部分(現在の街区の西方約三分の一)が、高橋貞太郎による建築図案競技一等の実施案に基づき建設され、昭和8年に竣工した。戦後、村野藤吾の設計になる増築によって、一街区全体を占める現在の建物が完成した。髙島屋東京店は、西欧の歴史様式に日本的な要素を加味した高橋による当初部分と、近代建築の手法を駆使した村野の設計による増築部分からなるが、全体が一体不可分の建築作品として完成度が高く、わが国の百貨店建築を代表するものの一つとして重要である。百貨店建築としては、初めての重要文化財指定です。
◆高島屋東別館
556-0005大阪市浪速区日本橋3-5-25/06-6632-9102
高島屋史料館は株式会社設立50周年記念事業の一環として昭和45年に創設いたしました。以来明治初期から京都画壇の巨匠、50余名の文化勲章受章作家を中心に日本を代表する美術家の名品、18世紀の能装束、百選会・上品会の着物など約5,000点の作品が収蔵されています。一方、高島屋のマスコットであるローズちゃん人形をはじめ、歴史的価値の高い戦前のポスター、その他社史、専門書など約15,000点の諸資料も所蔵しており、所蔵品の文化的価値は日本のみならず海外においても高く評価されています。
・・・もはや百貨店(デパート)の時代ではないというものの、がんばってほしいものです。




