・・・天井部を川に見立て、長堀川の水面が再現されている。ということは「クリスタ長堀」は川の中にいるということになります。
★2004年に事実上経営破たんし、特定調停が成立した大阪市の第三セクターの地下街経営「クリスタ長堀」をめぐり、市は2007年5月18日、公認会計士らを交えて破たん原因を分析・調査した報告書を公表した。バブル経済崩壊後にもかかわらず、開業時計画で地下街収入を右肩上がりに見積もっていた上、開業後も役員がほぼ市職員や市OBが占め、経営に民間ノウハウが活用されなかったことなどを指摘している。報告書によると、クリスタ長堀は1997年に開業したが、資本金19億円に比べ、事業費の大半を過大債務で補った財務構造は見直し検討されることがなかった。楽観的な収支予測の甘さが、すでに特定調停が成立しているATC、WTCなど市三セク3社と同様で破たんに至った大きな原因としている。加えて、テナントから入店時に預かった約90億円に上る「入店保証金」(賃料の100カ月分)の流出も資金繰りを苦しめたという。保証金は建設費用に充てていたが、開業2年目からテナントの撤退が相次いだため、返金が前倒しになった。98年度中に100店舗(当時)のうち約3割が退去。新規入店で入居率は現在までほぼ100%を維持しているが、賃料が下落した。クリスタ長堀は現在、大丸の子会社「大丸コム開発」に業務委託して経営再建中。市建設局は「市民、金融機関に多大な迷惑を掛けたことを深く自省したい」としている。
◆「謡雲」作:小田信夫(1948~)
1948 大阪市に生まれる。
1973 東京芸術大学美術学部彫刻科卒業。
1975 東京芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。
1976 東京芸術大学美術学部研究生修了。
1980 第1回高村光太郎大賞展(彫刻の森美術館)エミリオ・グレコ特別優秀賞受賞。
現在 二科会会員(理事)、大阪芸術大学教授、大阪彫刻家会議会員など
◆「天の川」作:八田雅博
1954 岐阜県生まれ
1972 (株)八田工芸に勤務(~1975)
1976 パレンティスとして、クロードブランシェ工房(パリ)ジョンタウンゼント工房(ロンドン) ジウゼペコデナー工房(ミラノ)スタジオモザイクアート(ミラノ) スタジオ54(フランス)ロルフ・ミルドボー(デンマーク)などで働く
1978 (株)マサズ設立
1982 美麻グラスワークショップに参画(~1989)
1984 大阪府青少年センター(ステンドグラス講座)(~1985)
1987 富山ガラス造形研究所非常勤講師
1987 大阪デザイナー専門学校ガラス課講師
2004 多摩美術大学工芸学科ガラス研究室非常勤講師
◆「森の中のPUGたち」作:狩立友広
佐賀県西松浦郡有田町の陶芸作家。24才で油絵を学び、数年にわたって渡米・渡欧し見遊。帰国後、実家にて陶芸を始める。その後、数々の陶芸展に入選。「うとうともぐもぐ妖精パグ達」をモデルに写真と言葉の本を出版。
◆「クリスタル・リバー」作:David Salle(1952~)
アメリカ、オクラホマ州出身の新表現主義の画家。アメリカポップアートを基盤にし、80年代の享楽的で退廃的な混沌とした世相を表現した。
◆「スプリングカスケード」作:Eric Orr(1939~1998)
・・・これらの作品は、案内標示板に説明はあるものの、その存在を前面に出しているわけではありません。どちらかと言うと、他の経営戦略のために陰にまわされているのが残念ではあります。
◆「開運まねき猫」作:高嶋文彦(1940~2004)
1940年 長野県に生まれる
1965年 東京芸術大学彫刻科卒業
サロンドプランタン賞受賞、一陽会に初出品、以後一陽会で活動
1967年 東京藝術大学大学院卒業
1972年 オーストリア・リンダブルン国際彫刻シンポジウム参加
2004年 3月25日没
★上方浮世絵師長谷川貞信(関西大学図書館HPより)
江戸の浮世絵だけが、日本の浮世絵ではありません。上方の人々に愛されてきた上方浮世絵の豊穣な世界があったのです。現在の日本では、上方浮世絵は等閑視されている感がありますが、海外でOsaka Printsと呼ばれ、珍重されてきたのです。この度関西大学図書館では、初代・二代・三代にわたる長谷川貞信の大コレクションを蔵書とすることができました。一般に、上方の浮世絵では役者絵が圧倒的に多いのですが、代々の貞信は風景画も多く残しています。これらは古き良き大坂の風景が窺えるものが多く、「大阪」の歴史や文化の研究に資するところ大であります。また、風景画ばかりでなく武者絵や玩具絵など多岐にわたる分野にその足跡を残している点も殊に注目されます。上方の絵師は、江戸とは異なり、代々画名を襲名することは珍しいのですが、長谷川貞信の名は文政(1820年代)から今日まで歴代に受け継がれてきました。初代は、文政中期から活躍、役者絵と風景画を手がけ、天保以降の上方絵の様式を確立した絵師です。子の二代目は明治の浮世絵界に君臨、孫の三代目もこの様式を守りました。四代目は1999年5月死去されましたが、昨年ご令嬢が五代目を襲名されました。貞信の代々の作品は江戸時代から昭和までの上方(特に大坂)の歴史・風俗・文化の研究にあたっては不可欠の資料ですが、その画題が甚だ多岐にわたるため、その全体を把握することが困難でした。このコレクションは、初代から三代までの質の良い作品が収められ、上方文化研究の第一級の資料であることは間違いありません。上方浮世絵の豪華な色彩と彫り、摺りの作品を満喫してください。
★長谷川小信(1848~1940)
初代長谷川貞信の長男。本名は徳太郎。初め小信と称した。慶応元年(1865年)頃から小信の号で描き、明治8年(1875年)に父から貞信の名を譲り受け、2代目長谷川貞信と称した。初代貞信は役者絵や「浪花百景」などの風景版画の分野を得意として、幕末から明治初年にかけて上方浮世絵界で活躍したが、2代貞信もその伝統を受け継いで役者絵を主に描いている。その他に神戸名所、浪花名所、浪花十二景などの風景画、玩具絵、武者絵、美人画、『日々新聞』の挿絵や銅版画を手がけている。小信を名乗っている頃には、「播州神戸海岸繁栄之図」を初めとして神戸・大阪(川口)の居留地などを舞台に、鉄道、鉄橋、西洋館など明治初年の文明開化の風俗をよく描いた。小信時代に描かれた神戸を題材にした開化絵は、開港当時の風俗や居留地の景観を知る数少ない資料として貴重である。また、貞信を継いだ後は、錦絵新聞や西南戦争に題材を求めた錦絵を多く手がけた。銅版画や石版画が普及し、浮世絵の需要が衰えた明治10年(1877年)以降には、商店の引き札(広告)や輸出茶の商標、芝居絵の番付なども描いている。享年93。墓所は初代と同じ天鷲寺。法名は明徳院貞信遍照居士。2代小信は、初代貞信の次男で2代貞信の弟、貞吉が継いだ。また、門人に中村貞以らがいる
★歌川広重(1797年~1858年)
本名安藤鉄蔵。江戸の定火消しの安藤家に生まれ家督を継ぎ、その後に浮世絵師となった。かつては安藤広重とも呼ばれたが、安藤は本姓、広重は号であり、両者を組み合わせて呼ぶのは不適切で、広重自身もそう名乗ったことはない。また、ゴッホやモネなどの画家に影響を与え、世界的に著名な画家である。
※辞世の句
「東路へ筆を残して旅の空、西の御国の名ところを見舞」
(これから西国浄土に旅立って名所めぐりをしたいが、残念なことに筆を持っていくことができない。)
◆長堀石濱
往時、長堀川は大坂の幹線河川のひとつとして諸国物産の運搬に利用されていた。旧心斎橋と佐野屋橋との間には石屋の密集地域があり、長堀を通って運ばれた各地名産の石が名もなき石工たちの手によって鳥居や橋、灯籠、道標、石仏、石臼、水鉢などさまざまな作品に姿を変えた。長堀のこの部分は昭和38年(1964)までには埋め立てが完了し、後に地下駐車場とショッピングモールに姿を変えた。
クリスタ長堀の東端グルメタウンの水時計広場に設置されている巨大な石のレリーフ「長堀石濱」、故・宮本竹逕さんの書です。高さ7mの天井には自然光を取り入れる明かり採りが設けられ、かつて長堀通が川だったことにちなみ、ガラス天井に「長堀の滝」が流れる「滝の広場」もありました。この界隈は石屋が密集していたコトもあり、あちこちに石を題材としたオブジェがおかれています。壁面には、長堀川が埋め立てられる前の護岸に使用した石がはめ込まれています。三セク運営会社が破綻してしまったため、現在は特徴だった天井の流水や噴水、「水時計」は見られなくなっています。
※宮本竹逕(1912-2002)
大正元年9月25日生まれ。広島県出身。広島師範卒。旧姓は倉田。本名は顕一。漢字を炭山南木に、仮名を桑田笹舟にまなぶ。昭和21年日本書芸院設立に参加。日展で25年特選、42年文部大臣賞。48年「万葉歌」で芸術院賞。51年日本かな書道会を設立。関西仮名書道界の発展につくした。寒玉書道会会長。平成14年10月7日死去。90歳。
・・・「水時計」のように撤去されてしまうと見ることもできません。経営上の問題が最優先ではありますが、細々とでも維持保存してほしいと思います。そしていつか、余裕が生まれた時に、再発見・再認識されればと願っています。