・・・美術館の1階部分に、
◆丸亀市立中央図書館
763-0022香川県丸亀市浜町80-1/0877-22-3746
・・・丸亀も歴史のある町ですから、きっと楽しい出会いがあるだろうと、雨にも負けず散策することにしました。
◆法音寺
763-0046香川県丸亀市南条町4/0877-22-3523
1674年創建。井上通女の墓がある。京極藩士井上儀左衛門本固の長女として生まれ、文武に秀で新井白石、室鳩巣などとも関わりのあり、江戸時代を代表する女流文学者として「東海紀行」、「帰家日記」、など数々の作品を残した有名な人です。幕末の勤王の志士土肥大作,七助兄弟の墓もある。
●戎座跡
丸亀の常設芝居小屋の最初のものは大黒座。続いて戎座、新町座が建てられた。明治17年春に高松市にあった旭座と呼ばれていた劇場を移して修築したもの。明治25年に初演。同年火事にあったが、翌年再建。
◆南条町の金毘羅街道と寿覚院
●金毘羅奉納灯籠
この石灯籠は、金毘羅大権現への献納燈籠の一つで、元はこんぴら街道の門戸であった福島堪甫の突堤にあったものである。台石には願主、世話人、願主名の他に「左金毘羅道」本宮百五十八丁や札所への距離など道標も兼ねた掘り込みがある。寛政8年(1791)に大阪講中によって建てられが明治44年(1911)壽覚院山門脇に移転され、平成6年(1994)に丸亀市の金毘羅街道景観整備事業によりこの地に再建立された。
●南条町道標
金毘羅参詣の人たちの道しるべとして建てられた石柱で、元は10m程南の交差点(元は三差路)にあり南条町の道標として市民から親しまれていた道標です。北面には、「すぐこんぴら」東面に「左こんぴら道」南面「右かわぐち」と明瞭に掘り込まれており、石工は小野利助とある。この道標は、明治13年(1880)に南条町を中心とした地元有志の手で建てられた後、県道丸亀詫間線の新設、拡幅などにより移転を繰り返したが平成6年にこんぴら街道に面するこの地に永久保存することになった。
●寿覚院の道標
この道標は、寿覚院境内にあったもので「南条町寿覚院南1丁」とあることから、元は本町筋の角付近(北方向)に建てられていたものであろう。石柱には「亀山城築城者羽坂重三郎墓所」「昔金毘羅大権現本地仏」など寿覚院のことや、レリーフ状の指差しで、道隆寺や道場寺(郷照寺)の方角を示しているほか「こんぴら ぜんつうじへんろみち」など、現在の道路標識の役目をしていたものである。
◆玄要(禅)寺境内の「京極高朗」墓所
丸亀藩6代目藩主「高朗」は14歳で丸亀藩主になり、嘉永3年(1850)まで実に40年間にわたって、丸亀発展の礎を築いた。詩文に長じ、新堀湛甫の築造、団扇造りの奨励をはじめ、開運、産業、文化に功績を残し明治7年(1874)77歳で没した。
◆田宮坊太郎墓所
江戸初期の剣豪(田宮流小太刀の達人)で紀伊徳川家の重臣の血を引きながらも、讃岐国丸亀藩士であった父・源八郎を同じ藩中の遺恨から藩の剣術指南役・堀源太左衛門の卑劣な剣の前に果てた父の仇をうつため、柳生宗冬について修行。18歳の時に丸亀の八幡社境内(山北八幡の説もある。)で仇を討ったという。若くして敵を討ったと思ったらほどなく死んでしまうのです。病没したとも、上野山内観成院で自刃したともいう。
◆北向地蔵
北から来る悪い“気”からお城を守るため、お地蔵様は北に向いているのだそうです。
●丸亀城外堀跡
北向地蔵の横にあります。上南条町の外堀から土橋をくぐって旧農人町の北向地蔵まで外堀の水が流れて来て右折して北へ向き西汐入川へ流れ入っていた。
◆【丸亀市立資料館】◆
763-8501香川県丸亀市大手町2丁目3番1号/0877-23-2111
・・・ここにも「赤丸ポスト」がありました。
●民具展示室(屋外)
明治から昭和初期にかけて、人々の生活の中で使われた暮らしの道具を、運ぶ道具、食べる道具、住まう道具に分けて展示しています。また、国の伝統的工芸品である丸亀うちわづくりに必要な道具も、工程順に紹介しています。
●芝生広場の石造物
この広場の石造物は、かつて丸亀市内の道ばたや港などにあったもので、近年の開発事業により、移転されてきたものです。
主な石造物/金毘羅街道丁石、常夜燈、道路元表示等
・・・これらの野外展示は、たとえ閉館日であったとしても楽しめるので、とても良いことです。