古市街道6 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・寄り道ばかりでなかなか前に進まないのですが、「修羅」が見学できる3つの場所を紹介しておきたいと思います。


1978(昭和53年、大阪府教育委員会が、三ツ塚古墳の中の八島塚古墳と中山塚古墳の間の濠の部分の発掘調査を行いました。この調査で、濠の底の部分をさらに1.3mほど掘り下げた所から、大小二つの木製の「修羅」が発見されました。修羅とは、重い荷物を乗せて運ぶための古代の木ぞりです。大阪府教育委員会が発見の事実を発表したのは4月5日のことでしたが、修羅発見のニュースは、考古学上の大発見として全国を駆け巡り、大きな注目を集めました。4月15日(土)の現地説明会では、修羅を見ようと全国から集まった1万2千人もの見学者が長蛇の列をつくり、その時の様子は、いまだに語りぐさとなっています。



しゅ1


◆【近つ飛鳥博物館】◆

585-0001南河内郡河南町大字東山2990721-93-8321

出土した修羅は生駒市にある元興寺文化財研究所で14年にも及ぶPEG(ポリエチレングリコール)含浸法による保存処理が行われ、現在は、大阪府立「風土記の丘」に建設された古墳時代中心の博物館「大阪府立近つ飛鳥博物館」(大阪府河南町)に展示されています。保存処理のために修羅を地中から掘り出すとき、ブヨブヨして柔らかい大きな木製品をまるごと地中から引き揚げるのは困難と考え、府教委は、バラバラに切断して引き揚げる方針を出しました。これに対して、切断せずに引き揚げられないかという声が多数上がってきました。このとき、大 阪市内の重量物運送会社阿知波組(現・アチハ㈱)が、費用を負担し切断せずに引き揚げるとの協力申し出を行い、府教委は引き上げと輸送をこの会社にまかせることにしました。こうして、修羅は切断されることなく、一体のまま保存することができたのです。阿知波組は、復元修羅の牽引実験にも協力しました。


しゅ2


◆道明寺天満宮

583-0012藤井寺市道明寺1-16-40072-953-2525

1978(昭和53)年、朝日新聞社が厚生文化事業として修羅の復元に取り組み、それを使った牽引実験を行いました。徳之島から探し出したカシの大木を使い、高知市の打刃物師が作った斧(おの)の一種ヨキという道具を使って削り、発掘した修羅に近いものを目指して、形や綱を通す穴も本物そっくりに造られました。製作の指導は薬師寺金堂の復元建立などで有名な宮大工棟梁の故・西岡常一氏に依頼されました。牽引実験は、重量物運送会社や庭園材料会社が協力し、藤井寺市の東部を流れる石川の河川敷で9月3日に行われました。多くの市民や中学生、自衛隊員など約400人が牽引の人手として協力し、実際に14トンもある花崗岩を乗せて綱で曳く実験が何通りも行われました。約5千人もの見物者が訪れ、堤防から実験を見守りました。この事業の経過は朝日新聞紙上でも連載記事で報告され、後に「修羅」という単行本にまとめられて、翌1979年11月に朝日新聞社から出版されています。この時の復元修羅は、後に藤井寺市に寄贈され、現在は道明寺天満宮の境内に保管展示されています。小型の復元修羅を使って曳く速さを競う「しゅらひき」が市民まつりの中で行われたりもしました


しゅ3


◆【藤井寺市立図書館】◆

583-0007藤井寺市林1-2-2072-938-2197

ひと足先に処理が終わった小型修羅は、藤井寺市立図書館の展示室に展示されています。ここには、大型修羅のレプリカも展示されています。また、小型人形などで作られた大型ジオラマがあり、修羅で巨石を運ぶ様子や古墳築造の様子などが再現されていて、楽しめる展示です。これは、修羅復元の事業を行った朝日新聞社が事業を記念して多額の費用をかけて製作し、主催した「よみがえる修羅展」で展示したものを、終了後藤井寺市に寄贈したものです。市立図書館には、古代史関係の専門書を集めた古代史文庫もあります。市立図書館は、上から見た形が前方後円墳をモチーフとして建てられています


しゅ4


・・・ふたたび「古市街道」にもどってまいりました。


辛国神社

583-0024藤井寺市藤井寺1丁目19-14072-955-2473

由緒は諸説ある。雄略天皇の時代(500年頃)に、物部氏が創設したという説や、渡来系氏族の辛国氏が、辛国(韓国)の神を祀った説などが伝えられている。室町時代、河内の守護職、畠山基国は200石を寄進し、奈良の春日大社より春日の神を合祀した。その後、織田信長の時代になって、神社は兵火にあい焼失した。1908年(明治41年)になって、近くにあった長野神社も合祀された。そのため祭神は、物部一族の祖・饒速日命(にぎはやひのみこと)、春日の神・天児屋根命(あめのこやねのみこと)、素戔嗚命(すさのおのみこと)の三神になった。また、長い参道は樹木におおわれ、府の「みどりの百選」に入っている。



しゅ5

仲哀天皇陵(岡ミサンザイ古墳)

583-0024藤井寺市藤井寺4丁目

仲哀天皇陵は、墳丘長242メートル、周濠幅約50メートルの大型前方後円墳。古市古墳群では4番目の大きさである。別名「岡ミサンザイ古墳」とも呼ばれ、羽曳野丘陵の北東部外縁に位置している。横穴式石室を採用している可能性があること、また出土した円筒埴輪などから、5世紀後半の築造と考えられている。冬にはマガモ、オナガガモ、トモエガマ、ハシビロ、カイツブリなどの渡り鳥が多く飛来し、バードウォッチングに人気がある。市民の憩いの場としても親しまれている古墳です。