・・・南河内郡小山村に下り藤井寺村大字岡に於いて長尾街道と合し(明治36年大阪府誌)
●産土神社から南に下り、小山善光寺の向かい街道角に常夜燈がある。藤井寺市報によると元は天王寺区空堀町にあったものが後に小山に移され、明治24年に現在の場所に移築されたといわれている。正面に「大神宮」、「文政十三年」とあり、伊勢神宮への御蔭参りの最大のピークであった時期に製作された。
◆小山善光寺
583-0033藤井寺市小山1-16/072-939-1419
現在、浄土宗に属し、南面山無量寿院善光寺と称します。本尊は信濃善光寺と同じ一光三尊仏阿弥陀如来です。寺伝によりますと、推古朝(7世紀初頭)に本田善光によってもたらされた仏像を本尊として、隆聖法師が城山古墳の南側(「善光寺屋敷」の字名が残る。)に寺院を建立したということですが、おそらく渡来系氏族の津氏によって、今から約1300年前の7世紀後半に建立されたことが出土軒瓦から推定できます。その後、戦国時代の兵火によって三好氏の小山城と共に、諸堂焼失して廃寺となりましたが、江戸時代初期の慶長年間(1596~1614年)、宗珍法師によって現在の地に再興されました。毎年4月24日午後4時から本尊の御開帳があります。本田善光が難波津から引き上げた一光三尊仏を信濃に持ち帰る途中、宿泊した丹比小山里で隆聖法師としりあう。仏像があまりにも立派であったため、ともに祈ったところ、仏像っは2体に分かれた。そこでその2体を信濃と丹比小山の善光寺の本尊とした。(自伝より)
●長尾街道が西方から合流ししばらく南下します。合流点に、元常夜燈と思われる火袋のない道標があります。
正面「右ハいせ 道(明寺) 葛(井寺)」左面「慶應三卯天十二月吉(日)」(1867)右面「村内安全」裏面「世話人 伊勢講 金毘羅講 中」
◆【ゆめいろミュージアム】◆
583-0035藤井寺市北岡1-8-46/072-952-2101
明治10年(約130年前)築。入母屋造り大和棟の町家「ゆめいろミュージアム」です。茶論 コーナーにお茶と駄菓子を用意してお待ちしております。ぜひ、遊びに来てください。
●岡一丁目の角に、かつては元禄一四年の道標がありました。
「右ハ ふじい寺 かうや よしの はせミち」「左ハ なら かふり山ミち」「元禄十四年辛巳九月吉日片山淨恵」
・・・現在は藤井寺市役所南側に移築されています。
●河内木綿の碑
道標の道をはさんで向かい側に「河内木綿の碑」があったのですが、撤去されていました。どこかに移設されたのでしょうか?
工場内で使われていた石でできていて、元はアンカーボルトの取り付け口だったそうです。河内(大阪府南河内・北河内)地方でつくられた木綿織物。江戸初期から農家の副業として綿を栽培し、手織りで織っており、すでに産物として『日本鹿子』(1691)に河内木綿・久宝寺木綿がみえる。糸は太く地質が厚かったことから、のれんや幟、はっぴ、浴衣地、ふとん地、足袋表、酒袋などに重宝されたという。
◆龍王地蔵尊
・・・商店街を抜けて踏み切りをわたり、さらに商店街に入りますと、
◆藤井寺まちかど情報館「ゆめぷらざ」
583-0024藤井寺市藤井寺1-3-11/072-959-2350
平成22年3月20日、藤井寺の観光・物産・歴史及び文化等様々な情報発信基地として、藤井寺一番街商店街に藤井寺まちかど情報館「ゆめぷらざ」がオープンしました。ゆめぷらざでは、地域活性化を目的に商品の紹介・展示・観光案内等を行います。玄関口では、藤井寺のオフィシャルキャラクター”井 真成”(いのまなり)の石像がお出迎えしています。館内には、トイレ・休憩所を設置していますので観光・散歩・買い物等の途中にお気軽にお立ち寄りください。
※小山団扇。その由来は戦国武将・武田信玄の軍師、山本勘助が敵情視察で小山の地に赴き、隠れ蓑の生業として団扇を製造、商ったことに始まる。藤井寺市商工会では、市の伝統工芸品「小山団扇」の伝統を守り、その魅力を伝える取り組み「小山団扇復活プロジェクト」を進めています。昭和45年に途絶えた小山団扇づくりの研究を重ね、このたび、小山団扇づくりの一部を気軽に体験でき、小山団扇をイメージしたレトロ感覚の団扇がつくれる「手づくりうちわキット」を開発し商品化しました。
・・・「葛井寺」のすぐ手前に「地蔵堂」があります。五体ある地蔵尊のうち一つは道標型になっているようですが、残念ながら文字は読み取れませんでした。