・・・「依水園」のつづきです。
・・・この竹の曲線には驚かされました。
●後園は、明治32年、奈良の富商、関藤次郎の気宇にもとづき完成されました。庭の遠景には、左から若草山、春日山、御蓋山を。中景には、東大寺南大門の瓦と、参道の並木などを借景として採り入れ、地内には池を堀り、小山をきずき、清流を導き、数個の伽藍石や、幾多の銘木、珍木を配り、巧みに周囲との調和が計られ、昔ながらの「寧楽(なら)の都」の面影を留めています。点在する建物は、東から、柳生堂、氷心亭、挺秀軒、清秀庵など、数奇をこらした萱葦や、檜皮葦の建物があり、どこに立ち止っても、去り難い風情を覚えられることでしょう。
・・・本当にそのとおりです。
●前園は、「奈良坊目考」によると、古くは興福寺摩尼珠院の別業があった処とされています。延宝年間(1670年代)、奈良晒業者、清須美道清が別邸を設け、庭の趣向を整え、萱葦の建物を造り、その披露に招いた、黄蘗山の木庵禅師によって、この建物は「三秀亭」と名付けられ、今日に至ったものです。
・・・もちろん、ここで「麦とろろ」をいただきました。高齢者にもやさしい「味」と「量」です。何よりも、お庭を見ながらの食事ですから、本当にのんびりリラックスです。
・・・床の間に、
※英一蝶
承応元年(1652年)~享保9年1月13日(1724年2月7日)
・・・ホンモノかどうかはわかりません。