◆長円寺
583-0852羽曳野市古市1丁目4-16/072-956-8917
文献によると江戸時代のはじめの寛永(9年(1632)3月に、孝順という僧によって開かれた浄土宗の寺です。当時江戸幕府は、切支丹禁制であったことから宗門改めの寺請制度が実施され、これにもとづいて長円寺が壇那寺として開かれました。現在、本堂・庫裏(台所)・門・観音堂・地蔵堂があり、本尊は阿弥陀仏がまつられています。また、平安時代初期に作られた「十一面観音立像(重要文化財)」が観音堂に安置されています。観音像は、桧材の一木彫で、顔や体格は豊満に造られている。右手は垂れ下げて、「与願印」を示し、左手には水瓶をもっています。頭上にある十一面の小像は本像の頭髪と美しい輪郭で区切られています。長円寺は1769年(明和6年)に一度焼失し、寛政時代に再建されましたが、1801年(享和元年)4月には無住の状態に陥っていました。現在の本堂の原型は、寛政再建時の本堂を1832年(天保3年)に改築したもので、今も歴史の物語を感じることができます。
・・・最近、古市は再開発の波が押し寄せてきて、古い建物が次々に建替えられています。「長円寺」も、とうとうその時期を迎えたようです。
・・・工事はもちろん「金剛組」です。さて、竹内街道を東へ、南河内郡太子町でどうしても見つけられなかった古墳がありますので、少し寄り道して探してみました。
・・・案内地図などで位置は確認したし、ここに間違いないのですが、何の表示もされていないので不安になります。
◆伽山古墳
・・・WEBで検索しても、ほとんど情報が得られません。
北は太子町、西は富田林市、南は千早赤阪村、東は葛城山の頂をもって奈良県北葛城市、御所市と接している。北には大和の飛鳥に通じる竹内峠があり、葛城山の南、金剛山との間には葛城の地へと通じる水越峠がある。また、西側には石川が北流し、陸路・水路の交通の要衝といえる。葛城山の西にはその前山である三つの山塊がある。一番北、太子町との間にまたがる山塊の北側の丘陵上に約200基からなる一須賀古墳群が存在し、東山遺跡は一須賀古墳群の北西部にあたる。北方向の尾根は、途中で北西方向に屈曲し、徐々に幅を広げていく。この部分には、敏達陵古墳が築かれ、さらに北西には葉室西峯遺跡、伽山遺跡が存在する。東山遺跡と葉室西峯遺跡、伽山遺跡が一つの独立丘陵内に存在することは、集落のあり方を考える上で興味深い事実である。
・・・「伽山古墳」に見切りをつけて、太子町内に「壁に塗り込められた標柱」があるというので、探しに行くことにしました。
・・・まもなく「科長神社」の祭礼なので提灯で隠れていましたが、もぐりこんで撮影しました。
●太子町山田・交番東交差点南東角
文字:右 推古天皇御陵参道 左 孝徳天皇御陵参道
文字:右 推古天皇御陵 左 二上山城址
・・・太子町山田の赤丸ポストも健在でした。