ミュージアム | すくらんぶるアートヴィレッジ

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石清水八幡宮境内は、八幡神を祭神として平安時代に創建された、我が国を代表する神社境内であり、淀川左岸の標高約120メートルの男山丘陵に立地する。その創始は、貞観元年(859)、僧行教が宇佐八幡宮で受けた神託に従い、山城国男山山頂に八幡大菩薩を勧請したものとされる。天慶2年(939)には伊勢神宮に次いで奉幣される地位を得、天下第二の宗廟と称された。天皇・上皇の一代一度の参詣も慣行となり、藤原氏の参詣も相次ぐなど、朝廷・貴族の厚い崇敬を受けた。また、武家の棟梁として台頭してきた源氏に厚く信仰され、鎌倉・鶴岡八幡宮を代表として八幡神は各地に勧請されその信仰が広まった。



えじ1


創始当初から廃仏毀釈まで神仏習合の宮寺の形態をとり、境内には寺院施設、社僧の坊が多数設けられていた。八幡市教育委員会による発掘調査によって、護国寺跡や坊舎跡などの遺構が良好に残っていることが確認されている。古代以来の神社境内の趣きを今に伝えるとともに、神仏習合の宮寺として坊舎跡などの遺構も良好に残り、我が国の宗教史を理解する上で重要である。


えじ2


清和天皇の嫡流である源氏一門は、八幡大神を氏神としてその信奉の念は格別で、全国各地に八幡大神を勧請しました。源義家は、自ら「八幡太郎義家」と名乗ったことは有名です。以来、勝運の神・厄除け開運の神として崇敬されてきました。特に当宮における厄除けの信仰の歴史は古く、今尚全国屈指の厄除けの神社として、新春の厄除大祭を始め年間を通し参拝に訪れる方々は跡をたちません。


えじ3


エジソン記念碑

八幡の竹を使っての白熱電球の長時間点灯、実用化に成功した世界の発明王エジソンとのゆかりにより、昭和9年当宮境内の隣に「エジソン記念碑」が建立されました。そして昭和33(1958)年には現在の位置に移転され、昭和59(1984)年にはデザインを一新し建て替えられました。当宮ではその遺徳を偲び、毎年エジソンの誕生日と命日に、日米両国の国歌奉奏と国旗掲揚を行うエジソン生誕祭・碑前祭を斎行しています。また記念碑の前には、当宮とエジソンと電気のゆかりに因み、電気自動車等専用充電スタンドを設置しています。

松花堂跡

表参道から影清塚の分岐点を右に上がり、石清水社へと向かう途中に江戸時代初期、松花堂昭乗(1584~1639)が営んだ「松花堂」という方丈の建っていた跡地があります。

瀧本坊の住職であった松花堂昭乗は寛永11(1634)年以前に弟子に坊を譲り、泉坊に移って隠棲し寛永14(1637)年には泉坊の一角に方丈の草庵を結び「松花堂」と称したことから松花堂昭乗と呼ばれるようになりました。松花堂と泉坊の客殿は、明治初年のいわゆる「神仏分離」後もしばらく男山に残っていましたが、明治7(1874)年頃に京都府知事より「山内の坊舎は早々に撤却せよ」との厳命が下ったため、当時の住職が山麓の大谷治麿氏に売却し、幸運にも破却されずに残りました。その後、幾度かの移築を経て、現在の松花堂庭園は昭和52(1977)年に八幡市の所有となり管理運営されています。男山山内の「松花堂およびその跡」は昭和32年に国の史跡指定をうけましたが、平成24年1月には、その地を含む当宮境内全域が国の史跡に指定されています。


・・・ようやく、「松花堂」の原点を訪問することができ感無量です。


えじ4


・・・さて、ひたすら景色を楽しみながらの下山です。


えじ5


・・・ずいぶんと遅くなりましたので「高速」で帰ります。なんと「レッドブル」に遭遇しました。これも、ご利益なのでしょう。