・・・「明日香村民俗資料館」です。
・・・階段を上がった所に入口があり、少し開いてはいるのですが、電気がついていないのです。立入禁止の張り紙もありませんので、遠慮なく入って自分で電気をつけて見学させていただきました。
・・・小さな資料館ですが、1階の店舗との共存共栄を図って末永く維持管理していただきたいと思います。さて、昼食として「亀石カレー」を食べてきました。「亀石」に見えますか?
・・・帰り道、いつも通っている所なのですが、「赤丸ポスト」に気がつきませんでした。「万葉ホール」を通り過ぎてから、あわてて車をとめて確認しました。
◆かしはら万葉ホール
634-0075奈良県橿原市小房町11番5号/0744-29-1300
橿原市の複合文化施設。ファミリー向けのイベントも多数開催しています。地下1階~地上5階までの施設の中には、コンサートや講演会を開催できる多目的ホールや会議室、研修室、視聴覚室、和室、茶室などがあり、様々な用途でご利用いただけます。そのほか、市立図書館やこども科学館もあり、多くの方で賑わっています。
・・・さらに、万葉ホール横に橿原市が平成19年に建立した「下ツ道跡」碑がありました。
※藤原京から平城京へとつづく古代の幹道・下ツ道
下ツ道は、上ツ道・中ツ道と並んで古代大和盆地を南北に縦貫するようにつくられた幹線道路の一つです。そのつくられた時期は、明らかにはなっていませんが、「日本書紀」に「上・中・下ツ道」のそれぞれの名が記されています。また、奈良盆地全域に条里制がおかれた際にも縦の基準線となり、現代の行政界や大字界に大きく影響しました。下ツ道は、丸山古墳の前から延びている為、深く関係があると考えられています。
※丸山古墳(畝傍陵墓参考地)
奈良県最大の前方後円墳で、6世紀後半に築かれたと考えられています。この古墳はあまりにも大きいため全体像が分からず、円墳と考えられていた時代もありました。そのため、前方後円墳であるにもかかわらず丸山古墳と呼ばれているのです。見瀬丸山古墳と呼ばれることもありますが、今日では見瀬町は周濠(しゅうごう)の一部にかかるにすぎず、見瀬丸山古墳という呼称は適切ではありません。地名をもとにした名称を用いるならば五条野丸山古墳、あるいは大軽丸山古墳と呼ぶのが適切と考えられます。全長約310m、後円部径約150m、前方部幅約210m、周濠を含めると全長約420mにもなる超大型の前方後円墳です。埋葬施設もそれに恥じない、日本最大の横穴式石室として知られています。石室の規模については土の流入が激しいこともあり、正確な数値は不明ですが、現状でおおよそ全長28.4m、玄室長8.3m、羨道長20.1mを測ります。両袖式の石室で、玄室の平面形は奥壁が幅広くなる羽子板状となっています。玄室には2基の家形石棺が安置されています。石棺の身部分は土に埋もれていますが、蓋の形態から、石室入口側(玄門側)に安置されているほうが古く、石室奥側(奥壁側)に安置されているほうが新しいと考えられています。古墳の築造時期や石棺の様子などから、被葬者は欽明天皇や蘇我稲目などの名前が候補として挙げられています。
・・・今回もいろいろな発見があり、天気はあまり良くなかったけれど充実しました。