ミュージアム | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・3つもミュージアムがありますので、「外宮」の参拝より疲れます。


さん1


◆【神宮美術館】◆

516-0016三重県伊勢市神田久志本町1754-10596-22-5533

正式名称を「式年遷宮記念神宮美術館」という。平成5年の第61回神宮式年遷宮を記念して建てられた。当代を代表する作家が、式年遷宮を奉賛して伊勢神宮に奉納した、絵画・書・彫塑・工芸作品を収蔵・展示しており、当代美術の粋を一堂のもとに鑑賞できる。神宮の美術館にふさわしい自然との調和に配慮した建築で、通路の各所にガラスが多用されており、美術品鑑賞はもちろんのこと、四季折々の景色も楽しみながらくつろげる。建物は平屋で見学しやすい。


さん2


・・・そうそうたるアーティストたちの作品ですが、平素とは異なった奉納用?かと思うような表現があったりして、なかなか興味深い展示でした。


さん3


倭姫宮516-0014伊勢市楠部町字赤井谷5

伊勢神宮において、内宮と外宮と合わせ別宮は荒祭宮、多賀宮、月讀宮、土宮、月夜見宮、瀧原宮、伊雑宮、風日祈宮、風宮など14宮あるが、そのうち創建が明確であるのは倭姫宮1宮のみで、1923年(大正12年)11月5日ともっとも新しい。祭神は、日本神話で第11代垂仁天皇の第四皇女と伝えられる倭姫命である。倭姫の命は天照大神を祀る宮を定めるため、数国を経たのち現在地に伊勢神宮を創建し、祭祀や神職の制度を定め、神道の基礎を作ったと伝えられるが、明治以前は倭姫命を祀る神社は作られなかった。


さん4


明治20年ころより宇治山田町(現在の伊勢市中心部)の住民を中心に、倭姫命を祀る神社を創立すべきという声が高まった。宇治山田町は1906年(明治39年)に市制を施行し宇治山田市となり、市長が先頭にたち倭姫命を祀る神社の創立の許可を1912年(大正元年)に国会に請願し、1919年(大正8年)に帝国議会で創立の予算が可決され、1921年(大正10年)1月4日には内宮別宮としての創立が決定し、外宮と内宮の中間に近い倉田山に創立された。ほかの境外別宮と同様に、神職が参拝時間内に常駐する宿衛屋があり、お札・お守りの授与や、神楽や御饌の取次ぎを行なっている。倉田山に隣接する間の山に尾上御陵と呼ばれる小さな古墳がある。この尾上御陵を倭姫命の陵墓とする伝承にちなみ、御陵のある常明寺門前町は1868年(明治元年)に倭町と改称した。尾上御陵は円墳とする説と前方後円墳とする説がある。宇治山田町民を中心に1886年(明治19年)に、民家から発生した火災の神宮への延焼を防止するなどを目的とする財団法人神苑会が結成され、神苑の美観と清浄を確保するなどの活動を行なっていた。神苑会は1891年(明治24年)に外宮前に日本最古の産業博物館である神宮農業館を創設した。神宮農業館は1905年(明治38年)に倉田山に移築された。明治天皇の行幸で神宮へ参拝するための道路の整備が問題とされ、自動車が通行できる道路が倉田山を経由して作られることになった。この道路は1910年(明治43年)に竣工し、御幸通りと名付けられた。1911年(明治44年)には神苑会による、ヴェルサイユ宮殿を模した前庭を持つ神宮徴古館が完成した。神宮徴古館には貴賓室が設けられ、大正天皇などの休息に使用された。1882年(明治15年)に内宮近くに創立された神宮皇學館(現在の皇學館大学)が1919年(大正8年)に移転するなど、文教地区としての倉田山開発が進んだ。付近に尾上御陵があることもあり、倭姫宮は倉田山の一角を開削して作られることになった。尾上御陵は倭姫宮創建後の1928年(昭和3年)10月に倭姫命御陵墓参考地に指定され、宮内庁に管理されている。


さん5


・・・夕食のため伊勢市駅界隈をうろついていますと、またまた「赤丸ポスト」を発見しました。さらに薄暗くなってきましたので、


月夜見宮

516-0072三重県伊勢市宮後1-10060596-24-1111

ご祭神の月夜見尊は、天照大御神の弟神で、皇大神宮別宮の月讀宮におまつりされている月讀尊と、ご同神でありますが、当宮では、月夜見尊の文字が用いられております。月夜見尊の御事については、『日本書紀』(720)の上巻に、伊邪那岐命、伊邪那美命2柱の御親神が、天照大御神をお生みになり、次に月讀尊をお生みになられ、月讀尊は夜之食国を治めるようにとご委任されたと記されております。『日本書紀』には、月夜見尊(月讀尊の文字も用いられております)は、その光彩が、天照大御神に亜ぐものであると、たたえられております。天照大御神のご神徳は、「その光華明彩、六合の内に照り徹るほどである」と、太陽にたとえられていますが、月夜見尊のご威徳は、それにつぐものとして、月になぞらえて、たたえられたと考えられます。皇大神宮別宮の月讀宮は月讀尊と月讀尊荒御魂がそれぞれ社殿を分けておまつりされていますが、月夜見宮は、月夜見尊と月夜見尊荒御魂が一つの社殿に合わせておまつりされています。月夜見宮はご鎮座地が伊勢市の中央に位置し、周囲は繁華街となっておりますが、古くは高河原と呼ばれ農耕と深いつながりのあるお社です。『延喜大神宮式』(927)には、外宮の摂社の首位に列せられておりましたが、鎌倉時代のはじめ、第83代土御門天皇の承元4年〈1210〉に、別宮に昇格されました。


・・・夕刻がふさわしいような気がして、行ってみましたがやっぱり閉ざされていました。外宮前を散歩して、一日目を終えました。明日は「内宮」に参拝します。