・・・「宮島」と「河内長野」の不思議なつながり。
■宮島と木文化
宮島には、鎌倉時代初期、神社や寺を建てるために鎌倉地方、京都地方から大工、指物師が招かれました。その技術の流れを汲むのが現在の宮島細工です。宮島杓子は、寛政年間(1789~1801)に僧誓真(せいしん)が弁財天の持つ琵琶の形からヒントを得て、島民に作り方を教えたのが始まりといわれています。宮島杓子は、巧妙な技法と工夫によって、飯粒がつきにくく、木の匂いがご飯に移らず、また熱によっても変形しない優れた杓子として高く評価されています。日清・日露戦争時には、全国から召集された兵士が広島の宇品港から出征する際、厳島神社に無事な帰還を祈願し、「敵をめしとる」という言葉に掛けて杓子を奉納し、故郷への土産物として持ち帰ったことから、全国的に知られるようになりました。木工製品の材料として、広島県境西中国山地には、豊富な森林資源があり、廿日市地区が木材の集散地であることから、宮島の木工は発展してきました。
■宮島とお土産文化
宮島に訪れた人たちの記念の品として、杓子や木工製品などは、お土産作りが発達しました。江戸時代から明治にかけて盛んに作られた「色楊枝」と呼ばれるみやげ品は「芸藩通志」にも、厳島神社を参拝した人が必ず買って帰ったと紹介されています。「宮島にも色彩のある土産物を作りたい」と、昭和50年頃には宮島張り子が作られるようになりました。元々、亥の子祭りの飾り面として古くから張り子が作られていたとも伝えられています。かつて安芸国(あきのくに)の人は、旅に出る際、安全を祈願して厳島神社近くの砂を「お砂守」として持参し、無事に帰ってくるとお礼に砂を倍返ししていました。江戸時代後期にはその砂を使って祭器が作られるようになり、宮島焼が誕生したといわれていますが、戦後には、観光客に喜んでもらえる手軽なお土産として、宮島土鈴が作られるようになりました。訪れた人たちに、宮島の思い出となる土産物が、今も職人たちの手によって作られています。
■宮島と「さるや」
江戸の頃は楊枝屋は「さるや」と名乗るのが定番だったようです。宮島の土産として色楊枝を売る楊枝屋「さるや」は看板がわりに本物の猿がいた、と言う話があります。宮島には明治時代までニホンザルがいたといわれていましたが、どうやらそのサルは人間が楊枝屋の看板として飼っていたものや神社に奉納したものたちであったようです。これまで、宮島に野生の群れがいたという証拠は見つかっていません。江戸時代の旅行ガイドブックである「厳島図絵」には、楊枝屋とセットで描かれたサルが見られます。当時楊枝屋の屋号は「さるや」を名乗るのが通例でした。宮島の楊枝屋は生きたサルを看板につかていたのでしょう。明治時代に入ると、楊枝屋のサルもいなくなり、寂しく思った人が厳島神社にサルを奉納したという記録が当時の芸備日報に載っています。このサルが後に野生のサルと勘違いされて、宮島にサルがいたという話が生まれたようです。弁慶の七つ道具に猿、鹿、御幣。あるいは宮島八景に猿と鹿の10本セットで多色刷りのパッケージに入れられて売られていました。楊枝の材料はウリハダカエデで、宮島では「白箸の木」と言われていまする。厳島神社の神饌にこのウリハダカエデの白木の箸が使われることからそのように言われています。
※宮島八景とは(1)厳島の明燈(2)大元の梅花(3)白糸の滝蛍(4)有の浦の客船(5)谷が原のび鹿(6)鏡池の秋月(7)三笠の浜の舗雪(8)御弥山の御烏
・・・宮島の「歴史民俗資料館」で、昔「色楊枝」が盛んに作られていたが現在では廃れてしまった、ということを知りました。
・・・そんなこともあって、ぜひ地元南河内の河内長野市にある「つまようじ資料室」を訪問しなければと思っていたのです。
・・・まして、南河内にあるミュージアムで行けてないのは、ここだけだったのです。理由は「土曜日」だけの開館ということで、なかなか都合がつかなかったのです。ようやく、訪問することができました。
・・・やっぱり宮島の「色楊枝」がありました。
◆【つまようじ資料室】◆
586-0037河内長野市上原町885(株)広栄社内/0721-52-2901
ようこそ、広栄社のつまようじ資料室へ。広栄社では「三角ようじ」を普及させ、地場産業を復権させたいという思いから、1990年にこのつまようじ資料室を設置いたしました。つまようじといえば「丸いもの」と、ほとんどの人はそう思っているでしょう。しかし、欧米をはじめ世界中では、二等辺三角形の三角ようじが主流なのです。なぜ?そう思われる方には一度この「つまようじ資料室」を覗いてみてください。この資料室は、2009年には「大阪ミュージアム」の登録物として認定されております。世界の「つまようじ」事情を知っていただき、「つまようじ」の歴史にもふれてみてください。
・・・小さなミュージアムですが、館長さんの熱意が伝わってくる素晴らしい収集の数々でした。さらに、新しい製品を多く開発されており、進行形・未来形の会社です。お土産に、もちろん新製品を購入してきました。丁寧な説明・案内をしていただき、本当にありがとうございました。