ミュージアム | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「菊乃家」のつづきです。


きく1


・・・お部屋に入ってビックリ、窓から「鳥居」がバッチリ見えるではありませんか。


きく2


・・・荷物を置いて、夕食まで散策することにしました。「大聖院」前で、またまた「赤丸ポスト」を発見しました。


大本山大聖院

739-0592広島県廿日市市宮島町2100829-44-0111

宮島にある寺院の中で最も歴史が古いのが、真言宗御室派(総本山仁和寺)の大本山大聖院です。空海が宮島に渡り、弥山の上で修行をして開基したのが806年といいますから、歴史の重みを感じない訳にはいきません。皇室との関係も深く、古くは鳥羽天皇勅命の祈願道場として、近くは明治天皇行幸の際の宿泊先になるなど、格式の高いお寺といえます。大聖院は宮島桟橋から歩いて20分、対岸の町並みが望める場所にあり、秀吉も当山の庭園で何度か歌会を開いているように、ここの閑静な環境と眺めの良さも特徴のひとつです。


きく3

大聖院は、真言宗御室派の大本山であり、関西屈指の名刹です。遠く鳥羽天皇勅願道場以来、近くは明治18年大帝御行在まで歴代皇室との因縁深く、明治維新までは十二坊の末寺を有し、厳島神社の別当寺として祭祀を行っていた厳島の総本坊です。仁和寺と当院は本山と末寺という結びつき以前に脇門跡、仁和寺院室、厳島御室などの称号を賜った深い関係があります。仁和寺第二十世任助法親王(厳島御室)は法流流布のため当院に御止往されましたが、仁和寺塔頭に大聖院があったため、特に当院を法流相伝の御室に充てられたものと思われます。また、当山の本堂は鳥羽天皇の勅願道場であり、仁和寺第五世覚性法親王は鳥羽天皇の第五皇子です。治承四年(1180年)三月の高倉上皇の御社参について記した土御門内大臣源通親公の「高倉院厳島御幸記」には厳島神社の別当寺といわれる所以が示されています。現在、厳島神社の恒例行事である玉取延年祭(旧暦七月十八日)や、大晦日の鎮火祭は当山から始まったもので、神仏習合の密接な関係が伺われます。


きく4


大聖院に祭られている仏様は、十一面観世音菩薩をはじめとする数々の観音菩薩、不動明王、三鬼大権現、七福神、一願大師などが有り、すべてをお参りしてゆくとけっこう時間がかかり、見ごたえがあります。境内に時折響く鐘の音、たなびく香の煙と匂い、そして至る所で眼に入るイロハモミヂの鮮やかな色とが、いっそう訪れる者の心を洗い、静寂さと長閑さを引き立ててくれます。仏様はみなそれぞれが得意のものを持っていますから、お参りされる方々の目的に応じた仏様だけを参拝されてもいいですし、全部をお参りされてもかまいません。当院には年間を通じて推定約50万人の参拝者があり、そのうち最も多いのが家内安全と商売繁盛祈願の三鬼大権現への参拝者の方になります。時期としてはやはり正月の初詣でしょう。もちろん観光客の方も足をのばされて参拝にこられますが、大半の観光客の方は厳島の大鳥居、神社の回廊をみて満足して帰られます。


きく5


大聖院には厳島神社とはまた違った魅力や宮島の再発見もあろうかと思いますので、ぜひ足をのばして来てみて下さい。かし本当の宮島の良さというのは、弥山の頂上からの眺めだと言われております。実は伊藤博文も「宮島の真価は弥山の頂上からの眺めにあり」といい、それで現在の登山本道ができたのです。つまり瀬戸内海とそこに浮かぶ島々の景観。宮島が日本三景のひとつに入っている理由は、この「眺め」でもある訳です。その弥山頂上付近に有る弥山本堂へは、ロープウェーか大聖院コースの「弥山登山道」を歩いていきます。弥山本堂に虚空蔵菩薩、弥山の守護神である三鬼大権現をまつる「三鬼堂」、不動明王をまつる不消の「霊火堂」など見ごたえあるものが建ち並んでいます。中でも霊火堂にある「きえずの火」は、806年に弘法大師がここで100日間の求聞持の修行を行なって以来、1190余年も消えることなく燃え続けており、広島平和記念公園の「ともしびの火」のもと火にもなっている貴重なものです。その火で焚かれている大茶釜の霊水を飲むと、万病に効くといわれ、そのご利益を求めて弥山に登って来る人も多く、一見の価値があります。


・・・私も、「嚴島神社」の鳥居を見て満足して帰るところでした。ホテルが偶然にも奥まったところにあったので、ここに来ることができたようなものです。宮島に行かれるなら、「大聖院」をおすすめします。