・・・河内長野にある作業場(SAV)の行き帰りに横を通るのですが、
◆【大阪大谷大学博物館】◆
584-8540富田林市錦織北3丁目11番1号/0721-24-1039
本学では昭和48年に学芸員課程が設置されました。その当時は、大阪市立博物館、天理参考館、大和文華館、大阪府立泉北考古資料館、観心寺などの諸施設に依頼して、館務実習の受け入れをお願いしていましたが、学芸員課程履修生の増加とともに、学内で博物館実習を行うため資料館建設が具体化するようになりました。そのようななかで、河内長野市滝畑のダム建設に伴って、特色あるこの地の民家が水没する運命にあることを聞き、その民家を大学構内に移築して、そのまま博物館の施設として利用する構想もありましたが、さまざまな問題点から沙汰止みとなりました。昭和53年7月に開始された資料館建設工事は、同年11月に完成し、12月11日には開館の運びとなりました。「くらしと道具」と題する開館記念展示がおこなわれ、好評を博しました。あわせて「資料館だより」第1号を発行するとともに、同年夏に実施した四天王寺境内の発掘調査報告書を「大谷女子大学資料館調査報告書」第1冊として刊行しました。この段階での資料館は、鉄骨平屋建て構造で、館内の面積は201.65m²、館内は展示室(81.0m²)、収蔵室(60.5m²)、整理室(60.5m²)、研究室(24.75m²)、暗室(8.25m²)などから構成されています。昭和54年2月14日には教授会の承認を受けた資料館管理規定などが公布の運びとなり、昭和55年からは各学科の資料館運営委員の協力を得て、ユニークな企画展示が実施されることとなりました。同年秋には国文学科の協力を得て「住吉のまつり」と題する企画展示を行い、昭和56年秋には英文学科の協力を得て、「ゴードン・グレイグとそのコレクション」と題する企画展示を実施しました。昭和57年秋から開始された資料館増築工事は、昭和58年2月5日に竣工を迎えます。新資料館は鉄骨造り一部2階建てで、建築面積は458.85m²、延べ床面積は524.32m²をはかります。館内は第一実習室(42.8m²)、第二実習室(64.35m²)、展示室(169.3m²)、収蔵庫(105.54m²)、研究室(26.75m²)、暗室(11.85m²)、準備室(19.0m²)などから構成されています。この増築工事により、初代館長橘茂の当初計画した規模の資料館が完成しましたが、その完成記念展示を見ることもなく橘茂は他界されました。昭和58年4月16日、小川修三が第二代館長に就任し、同年4月21日には博物館相当施設の認定を受けています。昭和58年春には、近隣の自治体や大阪大学考古学研究室などの協力を得て、「南河内の考古遺物」と題する企画展示をおこないました。また、同年秋には「日本の陶磁器の源流を探る」と題する企画展示を行うとともに、期間中に同名のシンポジウムを開催して、全国各地から数百名にものぼる参加者を得たのです。その後は、毎年春・秋に企画展示を実施するとともに、期間中には博物館(資料館)講座を行っています。また、博物館実習の一環として行われる発掘調査や古文書調査の成果は「博物館(資料館)報告書」として継続的に刊行されています。平成に入る頃になると、学芸員資格課程の受講希望者が年々増加するようになり、設置当初は数十名程度であったものが、平成8年度には150名ほどに達しています。このような状況のなかで、平成9年3月、大谷学園90周年記念施設として、旧資料館の北側にあらたに博物館を建設することが決定されました。平成10年9月に着工してから、建設工事は順調に進み、平成11年9月には無事竣工の運びとなりました。10月5日には多くの関係者の来席のもと開館記念式典が挙行され、開館記念展示「東アジアの造形Part1」がお披露目されました。新しい博物館は、4階建てで、建築面積578.24m²、延べ床面積2270.88m²をはかり、従来の資料館とは規模も内容も一新されることとなりました。1階には展示室、事務室、館長室など、2階・3階には教室、大学院講義室、資料室、4階には文化財学科の共同研究室のほか、個人研究室、保管庫などがあります。旧資料館も改装工事が実施され、新たに文化財科学実験室や文化財科学測定室が設けられたほか、暗室も拡張し利用し易くなりました。平成12年4月には、文化財学科がスタートいたしましたが、文化財学科の講義、実習、研究活動などはほとんどこの博物館内で行われています。今後は大谷学園が所蔵する各種文化財資料の展示・公開施設としてばかりでなく、河内飛鳥における地域文化研究の拠点として、あるいは文化財学科の教育・研究活動の拠点として、この博物館がひろく活用されていくものと思われます。
●平成26年度春季特別展
「中国・朝鮮半島の古瓦」4月1日(火)~7月11日(金)
瓦は中国の西周時代(紀元前11世紀頃)に出現し、戦国・秦時代を経て前漢の末に朝鮮半島北部の楽浪郡に伝わりました。日本には蘇我氏の氏寺である飛鳥寺の建立に際し、その指導にあたった百済の工人が伝えました。飛鳥寺の屋根瓦は平城京遷都によって奈良に運ばれ、今も元興寺極楽房の建物を風雨から守り続けています。役に立たない廃材を例えて"瓦礫の山"などと表現することもありますが、建築資材としての優秀性は証明済みです。また、瓦は歴史研究にとって欠くことのできない第一級資料であり、美術品としての評価も高く、文字瓦は書道家にとっては垂涎の的となっています。中国から朝鮮、朝鮮から日本に伝わった瓦の展示を通して、複雑化する日中韓の文化理解に多少なりとも益するところがあれば幸甚に存じます。今回の展示は本学附属博物館の所蔵品に、故藤澤一夫氏が収集された中国・朝鮮半島の古瓦と富田林市教育委員会所蔵の新堂廃寺の出土瓦を拝借展示いたしました。ここに関係各位のご厚意に対し深甚の謝意を表します。
・・・以前も書きましたが、富田林市には「箱物」としの資料館・博物館がありませんので、このような大学との連携(後援)は、とても大切なことだと思います。
・・・来館者には「記念品」が用意されていました。絵葉書やクリアファイルさらに一筆箋まで、受付の方曰く「大谷は太っ腹ですから」です。ぜひ、みなさんも行ってください。そして、もらってください。
・・・サクラ散る季節です。作業場(SAV)からの帰り道に立ち寄ったのですが、とても幸せな気分になりました。
◆かんさい大学ミュージアム連携
大阪を中心に関西圏にある11の大学ミュージアムが連携して事業を立ち上げました。大学が設置するミュージアムなどの社会教育施設は、これまでも、各大学に所属する教員や学芸職員等の専門性を高め、教育研究に寄与するだけでなく、ミュージアムが所蔵する史-資料を活用して学生や大学院生を養成し、文化遺産の理解とその継承に向けた事業を推進し、人材育成の基盤を整備ー共有してまいりました。今回の連携の試みは、それぞれの大学ミュージアムがゆるやかに連携することで、さらなる人材育成に貢献するとともに、多様な地域住民のみなさまのご要望に応盤て、各大学ミユージアムが長年蓄積とてきた知的情報や資源を効果的に公開し、双方向に活用する可能性を開くものです。大学ミュージアム自体が地域の情報発信基地となって、その成果を共有して文化力の底上げを推進し、持続的な活動を目指したいと思います。これは、平成25年度文化庁「地域と共働した美術館・歴史博物館創造活動支援事業」に採択されたかんさい大学ミュージアム連携実行委員会の「交流する大学ミュージアムを目指して一人材育成の手法と実践ー」事業の一環として実施されるものです。
・・・特に、大阪の大学ミュージアムにもっともっとがんばってもらいたいものです。
◆京都・大学ミュージアム連携
京都は「大学のまち」といわれるほどに、数多くの大学が、市の内外にあります。 その多くは、美術館、博物館、資料館といった施設(ミュージアム)をもち、そして、その施設では、教材や研究資料として蓄積されてきたさまざまな美術品、歴史資料など、つまり、文化遺産の数々を保存・管理し、その収蔵品を展覧会というかたちで公開しています。しかし、大学におけるこれらの活動は、あまり知られていないのかもしれません。 2011年、京都市内外にある13大学14ミュージアムが連携して、「京都・大学ミュージアム連携」を立ち上げました。この「京都・大学ミュージアム連携」は、2011年度文化庁助成「文化遺産を活かした観光振興・地域活性化事業」に採択された「京都のミュージアム活性化プロジェクト」の一環として設置されたもので、各大学ミュージアムが収蔵する資料を、より有効に活用し、より多くの方々に知っていただくために、 共同してさまざまな事業をおこなっていきます。 2012年現在、連携ミュージアムは14大学15ミュージアムになっています。 みなさまのご来館をお待ちしています。
・・・京都・大学ミュージアム連携はHPもしっかり立ち上げられています。さすがです。http://univ-museum-kyoto.com/