ミュージアム | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・和歌山からの帰り道、立ち寄る時間がなく素通りしてきた「和歌の浦」です。


わか1


片男波公園

641-0022和歌山市和歌浦南3丁目1700073-446-5553

片男波公園は、万葉集にも多くの風光美が詠まれている和歌公園内の片男波地区に位置している。この地区は、和歌浦湾に注ぐ和歌川の河口部に沿うようにできた延長千数百メートルにも及ぶ狭長の砂州半島である。この万葉の景勝地に、歴史的景観を踏まえ、周囲との調和を図りながら、昭和天皇陛下御在位60年記念健康運動公園として、子供から高齢者まで誰もが手軽にスポーツ・レクレエーション、文化活動などが楽しめる公園整備がなされた。


わか2


◆【万葉館】◆

万葉集の中には和歌山を旅した歌が107首あり、和歌浦を始め万葉和歌に詠まれた地名が今に伝わっています。数ある県内の万葉ゆかりの地で、特に歌人や多くの旅人に景勝の地として、親しまれ、愛されてきた和歌浦。万葉館はこの地を訪れるあなたにとって時を越える万葉集の歌世界への旅の出発点となることでしょう。万葉集の研究や万葉集と和歌山の関係について、さらに万葉集の時代や歌人について、実物や複製、解説パネル、タッチパネルなどを使い、さまざまな視点から万葉集を多角的に見せる展示を行います。ビデオプロジェクターとマルチスライドを組み合わせた映像と音響・照明効果、スモークを使った多彩な演出などで劇場空間に現れる万葉の世界を物語にして見せます。ときに歌に詠まれ、ときに絵画の題材となってきた和歌浦の風景は訪れる人々を魅了してきました。パノラマのガラス窓から見える景観を取り入れた展示室は見る目を休め、和歌浦の風景を楽しめる場となります。


わか3


・・・「健康館」では社交ダンスの大会をやっていました。


わか4


不老橋

片男波松原にあった東照宮御旅所の移築に際して紀州藩10代藩主であった徳川治宝(橋が架けられた当時は13代藩主徳川慶福の治世中)の命により、嘉永3年(1850年)に着工し、翌4年(1851年)に完成したアーチ型の石橋です。この橋は、徳川家康を祀る東照宮の祭礼である和歌祭の時に、徳川家や東照宮関係の人々が御旅所に向かうために通行した「お成り道」に架けられたものです。橋台のアーチ部分については肥後熊本の石工集団の施工であり、勾欄部分については湯浅の石工石屋忠兵衛の製作と推定されている。勾欄部分には、雲を文様化したレリーフがみられる。江戸時代のアーチ型石橋は、九州地方以外では大変珍しく、特に勾欄部分の彫刻が優れています。


わか5


塩竈神社641-0025和歌山市和歌浦中3-4-26073-444-0472

古くから安産の神として信仰されてきた塩竈神社は、大正6年に玉津島神社の祓所から神社になりました。伽羅岩と呼ばれる結晶片岩でできた鏡山の南面に位置し、海風により自然に形成された洞窟の中には小さな拝殿が造られています。このほこらの中に神体の鹽槌翁尊が祀られています。神話では、兄海幸彦から借りた釣り針を失くし、兄の怒りにふれて困っている弟山幸彦に鹽槌翁尊が海神の所へ行くよう教えたそうです。のちに山幸彦は龍宮の豊玉姫を娶られ、姫は懐妊し安産によって御子を授けられました。このことから尊は、子授け・安産守護の神として古くから厚い信仰を受けています。また、江戸時代の和歌山では「一に権現(紀州東照宮)、二に玉津島、三に下り松、四に塩竈よ」と歌われ、塩田の塩を焼く釜からこの名が付けられたといわれています。