・・・母と観梅に出かけました。
◆大阪城公園梅林
540-0002大阪市中央区大阪城/東部方面公園事務所(06-6941-1144)
大阪城梅林がもっとも多くの花に包まれるのは例年二月末から三月上旬にかけてのあたり。この頃の大阪城は東半分が梅の芳香に包まれると言っても過言ではないほどのすばらしさであり、是非とも足を運んでいただきたいと思う。ただこの梅林の場合、早咲きから遅咲きまで実に数多くの品種が揃っており、例年年末から3月下旬にかけての長期にわたって何らかの梅花を楽しむ事が出来るのが大きな特徴。それぞれの時期にその時ならではの良さがあるので一度といわず出来れば複数回足を運んで移りゆく花の姿を楽しむ事をおすすめしたい。
●沿革
今では大阪を代表する早春の風物詩として毎年多くの観梅客で賑わうこの梅林の歴史は意外と新しい。1972(昭和47年)10月、大阪府立北野高校(旧制北野中学)開校100周年事業の一環として同校の同窓会(六稜同窓会)より大阪市に寄贈された22品種、880本の梅の木を元に大阪城二の丸東地区に梅林が造成され、1974年3月に開園したのがその始まりである。開園当初は現・梅林の北西部分0.5haだったが1986年に現在の規模に拡張され(1.7ha)、その時に33品種、1055本と大きく成長。その後は毎年のように移植と補植を繰り返し、今では品種の豊富さにかけては西日本随一といえる規模の梅林になっている(2006年3月現在、97品種、1240本)。
●歴史
ここは大阪城の中では『市正曲輪』と呼ばれているところ。その由来は豊臣時代に片桐市正且元の屋敷があったことに由来する。江戸時代には城内警備に当たる大番職を助勢する加番職のための三つの屋敷(加番小屋)が南から順に立ち並んでいた場所で(戊申戦争時に全て焼失)、明治期から太平洋戦争終結時までは全域が陸軍関連の施設となっていた。戦後は梅林が造成されるまで上等とは言えない運動場に整備され、主に大阪府警機動隊の訓練場として使われていたという。
・・・もちろん、
◆【大阪城天守閣】◆
540-0002大阪市中央区大阪城1-1/06-6941-3044
大阪のシンボルであり、「太閤はん」とともに大阪市民の心に根ざす大阪城。このサイトでは、意外と知られていない城郭に秘められた歴史と、平成の世に蘇った歴史博物館としての天守閣の内部へご案内します。戦国の世から平成まで、波乱に満ちた歴史が早わかり。きっと、あなたに新鮮な驚きをもたらします。平成の天守閣は最新設備の、見て聞いて楽しむ博物館。その魅力をご紹介する天守閣大解剖。大阪城公園は、歴史の名残を随所に見ることができる史跡公園。
●4階/常設展「『桃山』の暮らしと調度」
平成26年1月25日(土)~平成26年3月19日(水)
豊臣秀吉が活躍した時代、彼の陽気で派手な性格を反映したような華やかな文化が花開きました。文化史の上では、これを「桃山文化」と呼びならわしています。秀吉が晩年に本拠とした伏見城の地に、その後桃の木が植えられ、「桃山」と呼ばれたことに由来します。今回の展示では、この「桃山文化」を象徴する高台寺蒔絵の調度品や、当時の庶民の生活の様子を描いた屏風絵などを展示します。
●3階/常設展「歴史を動かした“内乱”―源平合戦から大坂の陣まで―」
平成26年1月24日(金)~平成26年3月18日(火)
武士が活躍した日本史上有名な内乱を紹介します。鎌倉幕府成立に帰結した源平合戦、天皇家の分裂に武家政権内の覇権争いがからんだ南北朝の争い、「下剋上」の世となった戦国時代……。その戦国時代は、大坂の住民を巻き込んだ日本史上最大規模の内戦「大坂の陣」によって最後を迎えます。本展では、天守閣収蔵の武器武具や古文書のほか、後世の人々が過去の内乱をどのような目で見つめたかをうかがわせる絵画資料にも注目します。
・・・次は、「歴博」へ。