関西支部のおすすめ | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・最近「カエル」のことがおろそかになっていましたので、


あわ1


・・・久しぶりにお参りしてきました。


●加太淡嶋神社

和歌山県和歌山市加太116073-459-0043

その昔、神功皇后が三韓出兵からお帰りの際、瀬戸の海上で激しい嵐に出会いました。沈みそうになる船の中で神に祈りを捧げると、お告げがありました。「船の苫(とま)を海に投げ、その流れのままに船を進めよ。」その通りに船を進めると、ひとつの島にたどり着く事が出来ました。その島が、友ヶ島です。その島には、少彦名命と大己貴命が祭られていて、皇后さまは助けてくれたお礼の気持ちを込めて、持ち帰ってきた宝物をお供えになりました。その後、何年か経ち、神功皇后の孫にあたられる仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来られ、いきさつをお聞きになりました。そこで、島では何かとご不自由であろうと、お社を対岸の加太に移され、ご社殿をお建てになったのが、加太淡嶋神社の起こりとされています。


あわ2


やさしく美しい日本の行事、雛まつり。親は、わが子の健やかな成長への願いをお雛様に込めます。いくつになっても女性にとってうれしい行事、雛まつり。幼い日の思い出が鮮やかによみがえってきます。男びな女びなの始まりは、淡島神社のご祭神である少彦名命と神功皇后の男女一対のご神像であるとされています。また、雛祭りが三月三日になったのは、友ヶ島から対岸の加太へのご遷宮が、仁徳天皇五年三月三日であったことから。雛祭りの語源も、スクナヒコナ祭が後に簡略化されて、ヒナまつりと言われるようになったとされています。歴史ある淡島神社には、長い時代を静かに生き抜いてきた見事な雛人形が、数多く残っています。この多くは、紀州徳川家から奉納されたものです。姫君誕生のおりに、その初節句には必ず一対の雛人形が奉納されました。古文書には、姫君たちの名前である寛姫様・菱姫様・芳姫様献上の記述も見られます。今も、その雛人形には、親のやさしい思いが息づいています。三月三日は、朝から神社のなかは人々の熱気でむせかえります。それぞれの思いや願いと共に、関西はもとより日本全国から境内に女性たちが集まってきます。そして、日が高くのぼった正午、ひな流しの神事がおごそかに始まります。人形に願い事を書き、人形とともに舟に乗せます。「幼い日、あの人形と遊んだなあ」「嫁に行った娘が幸せでありますように」・・・女性の思いのたけをすべて込めた人形で、雛流しの船はいっぱいになっていきます。穏やかな春の海に千羽鶴がまかれ、神の国へと続く道ができます。そこへ、本殿でお祓いを受けた人形を満載した白木の船がしずしずと進んでいきます。船にぎっしりと積み上げられた無数の人形たちは、先導する船に引かれ、沖へ沖へと向かっていきます。波のまにまに揺られて、浮かんでは沈み、波間に見え隠れする人形たち。キラキラと輝く海面を進む、黄金色や朱色のあでやかな着物をまとった人形たちは、まるで生きているようです。心が澄みわたる瞬間が訪れ、手を合わす人、俳句や短歌を詠む人、シャッターを切る人、たたずむ人、涙ぐむ人・・・ひとりひとりの思いが神の国へと流れていきます。


あわ3


・・・様々な人形が大集合しているわけですが、中でも「カエル」たちの存在感はひときわ大きいのです。


あわ4


・・・人形たちは、丁寧に種類ごとに分類されて境内を埋め尽くしていますが、「カエル」たちは絶対数が多いためか、数箇所に分散させて並べられています。


あわ5


・・・もちろん、お土産・お守りに「カエル」が数種類用意されています。大阪府と和歌山県の境目にある少し遠いところではありますが、カエル好きの方にはぜひお参りしていただきたい神社です。