★邪馬台国見つかるか/纒向遺跡中心部を再調査へ
邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡(2世紀末~4世紀初め)で、中心部の発掘調査を2月から始めると、市教委が2009年1月30日に発表した。約30年前に神殿状の建物跡の一部が見つかっており、周辺に大規模な宮殿が造営されていたとみて再調査する。財政難の中、ふるさと納税で全国の考古学ファンにも調査費の寄付の協力を呼びかけている。「邪馬台国畿内説」の決定打が見つかるか、注目される。纒向遺跡は南北1.5キロ、東西2キロ。卑弥呼の墓との説がある国内最古級で大規模な箸墓(はしはか)古墳(3世紀中ごろ~後半、全長約280メートル)など計6基の前方後円墳がある。その後各地に同型の古墳が広がったとして、「前方後円墳発祥の地」とされる。1978年の奈良県立橿原考古学研究所の調査では、正殿とみられる掘っ立て柱建物(縦4.4メートル、横5.3メートル、3世紀初め~中ごろ)と、脇殿(縦1.8メートル、横1.6メートル、同)の建物跡各1棟が出土。柵(さく)の跡も一部見つかった。この時は、駐車場建設などの開発に先立つ緊急調査で対象地が限られていた。その後、開発が進まなかったことから、所有者に要請し、遺跡内の集落跡では初の本格的な調査に乗り出すことにした。神殿状建物跡の周辺約450平方メートルを3月末まで発掘する。調査費は約400万円。4月以降は成果を踏まえて区域を広げる。今後、数年かけて中心部の全体像を探る方針だ。遺跡の調査は71年以降160回実施しているが、開発に伴う緊急のものが主で、これまでは部分的にしか発掘されていなかった。調査は遺跡全体の5%程度しか終えていないという。厳しい財政のため、市は2008年8月からふるさと納税を活用して寄付を募っており、全国から46件約40万円が寄せられた。うち半分が関東から。市税務課は「桜井市に縁があるという人よりも、古代史ファンからの寄付が多い印象」としている。邪馬台国は九州説も根強いためか、九州からの寄付はまだないという。谷奥昭弘市長は「纒向が邪馬台国の中心地と信じている。息の長い調査になると思うが、行政だけでなく、民間の力も活用し実像に迫りたい」と話している。
★箸墓古墳立ち入り調査/築造期解明へ前進
邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とする説がある桜井市箸中の箸墓古墳で2013年2月20日、考古・歴史系の15学協会が宮内庁の許可を得て立ち入り調査を行った。築造に先立つ弥生時代末の土器片を確認、地表のふき石も観察した。築造時期の解明など、研究の進展につながる成果が得られたという。箸墓古墳は全長約280メートルの前方後円墳。宮内庁が陵墓参考地として管理しており、立ち入りは禁じられている。この日は、日本考古学協会など15学協会の16人が、午前10時前に前方部の墳丘すそに入った。約1時間半かけて墳丘すそを一周。地表に顔を出したふき石を写真に撮ったり、観察結果をノートに書き留めるなどした。終了後、日本考古学協会の森岡秀人理事(陵墓担当)は「前方部と後円部の接続状況や平坦部の長さなど、箸墓古墳の規格を実感できた。ふき石は年代研究に役立つ資料。築造時期に極めて近い土器もあり、箸墓古墳に邪馬台国と深く関わる情報が含まれるのは確か」と話した。箸墓古墳の築造は出土した土器の編年などから3世紀の中ごろや後半など、研究者の見解が分かれる。3世紀中ごろであれば、中国の史書・魏志倭人伝が伝える卑弥呼の没年代と重なる。午後は天理市中山町の西殿塚古墳(全長約230メートル)でも立ち入り調査を行った。継体天皇の皇后、手白香(たしらか)皇女の墓として宮内庁が管理している。学会による陵墓の立ち入り調査は平成20年に奈良市の五社神古墳(神功皇后陵)で初めて認められ、箸墓古墳が8カ所目。学会側は昭和51年に「陵墓の保護と公開を要求する声明」を発表し、30年以上にわたって公開運動に取り組んできた。森岡理事は今回の立ち入りについて「国民の文化遺産として陵墓を共有できる出発点にしたい」と話した。
・・・一度は、行きたいと思っていたのです。
◆【桜井市立埋蔵文化財センター】◆
633-0074奈良県桜井市芝58番地の2/0744-42-6005
ヤマト王権成立の地桜井、当センターの展示室は二つに分かれており、常設展示コーナーでは邪馬台国畿内説の最有力地である纒向遺跡の出土遺物を中心に旧石器から奈良までを各時代ごとに展示しています。また、特別展・企画展コーナーではテーマを決めて年3回の展示入れ替えをを行っています。建物は昭和63年に建てられました。
●特別展 HASHIHAKA-始まりの前方後円墳-
1月16日(木)~3月23日(日)
●箸墓古墳の実像に迫る/桜井・埋蔵文化財センターで特別展
邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓ともされる桜井市の巨大前方後円墳「箸墓(はしはか)古墳」(全長280メートル、3世紀)に関する考古資料などを集めた特別展「HASHIHAKA」が16日、市立埋蔵文化財センターで開幕した。同古墳は陵墓として宮内庁が管理し、普段は立ち入りが認められていない。特別展では、墳丘上で採取された宮内庁所蔵の壺や埴輪など貴重な資料を展示しており、築造年代など依然多くの謎に包まれている同古墳の実像に迫る内容となっている。特別展の展示数は189点。このうち宮内庁の資料は「二重口縁壺」「二重口縁壺形埴輪」「特殊器台」「特殊器台形埴輪」「特殊壺」の5種類で、計82点。二重口縁壺形埴輪は2点(高さ42センチと45センチ)を展示した。底部に穴があり、築造当時は墳丘上に置かれていたとみられる。
また、特殊器台や特殊器台形埴輪は円筒埴輪の原型とされ、ルーツは吉備地域(岡山県)。巴形の透かしや、S字状など特色ある文様が表現され、吉備との交流をうかがわせる。このほか航空レーザー測量をもとに製作された箸墓古墳の鳥瞰図や、調査研究に基づいた模型、箸墓古墳のそばで出土した最古の木製鐙(古墳時代前期)なども展示している。センターの担当者は「これだけ多くの宮内庁の箸墓資料を一度に見ることができる機会はめったにない。ぜひ見学に訪れてほしい」と話している。特別展にあわせ、センターは3月16日午前9時半から、市内の桜井市民会館でシンポジウム「箸墓再考」を開く。入場無料だが、事前申し込みが必要。
・・・天気はあまり良くなかったのですが、実際に「箸墓古墳」そして、
・・・「ホケノ山古墳」も見に行きました。