・・・高野山での最大の目的は、和歌山県立美術館の設立経緯に記された内容でした。
※和歌山県立美術館の設置について
昭和30(1955)年に行われた第1回の社会教育調査によると、県内の博物館相当施設には、高野山霊宝館(大正10年・高野町・美術)・熊野神宝館(昭和30年・新宮市・美術)・番所山植物園(昭和8年・白浜町・植物)があった。しかし、県立の美術館・博物館はなく、美術工芸品等の収蔵や絵画の展覧会等に使用できる施設の設置が各方面から求められていた。例えば、同30年に、和歌山大学長らが、和歌山市に総合的な美術館の設置を求めるという動きがみられたほか、県美術家協会が中心となって美術館建設を求める活動などが行われた。こうした動きを受けて、同36年に県・県議会・教育委員会と美術家協会の代表者で構成する美術館建設委員会が設置されることとなり、同37年7月に起工、翌38年3月、和歌山公園内二の丸跡に和歌山県立美術館(以下県立美術館)が開館した。
・・・この文章から「高野山霊宝館」の歴史的価値を感じ、ぜひ訪問しなければと思っていたのです。
◆【高野山霊宝館】◆
648-0211和歌山県伊都郡高野町高野山306/0736-56-2029
高野山は弘法大師の開創以来、12世紀にわたる長い歴史の中で栄枯盛衰を繰り返し、今なお法燈を守り続ける真言密教の一大道場です。開創以来、幾たびかの自然災害や明治初期の廃仏毀釈などで、山上の優れた文化遺産を焼失、散逸させてしまいましたが、現在なお117ヶ寺に有する文化財は膨大な量を誇り、まさしく文化財の宝庫、宗教芸術の殿堂と呼ばれる所以がここにあります。さらに、平成16年(2004年)にはユネスコ世界文化遺産に登録され、国境を越えた世界共通の宝物として注目を集めています。高野山霊宝館は、こうした高野山内の貴重な文化遺産を保存展観する施設として大正10年(1921年)に有志者の寄付と金剛峯寺によって開設されました。この時に建てられた本館は、平成10年(1998年)に登録有形文化財として指定されています。昭和36年(1961年)には大宝蔵を増設し、山内の国指定有形文化財(美術工芸品)の大半を収蔵することになりました。
さらに近年にも指定物件は増え、昭和59年(1984年)、平成15年(2003年)と続いて、収蔵庫が増設されました。現在では国宝21件、重要文化財143件、和歌山県指定文化財16件、重要美術品2件、合計182件、約2万8千点弱を収蔵するほか、未指定品になりますと5万点以上を数える収蔵量を誇っています。これらの膨大な資料を収集・保管する当館は、夏期特別展のほか、年間を通じて企画展や特別陳列、常設展示を企画し、展示公開にあたっています。
●冬期平常展「密教の美術」
前期:平成25年12月21日(土曜日)~平成26年2月23日(日曜日)
今回の平常展は、高野山に伝わる神道関係の遺品を中心に展示いたします。普段展示することの少ない、貴重な宝物の数々をぜひご覧ください。また、新館第2室では、岸派の絵画作品をご紹介します。さらに平成26年の干支・午にちなみまして、馬が描かれた仏画の小特集を本館紫雲殿にて開催します。冬の高野山にも皆様ぜひお越しください。
・・・一般にあるお寺の宝物館だと思っていたのですが、とんでもないスゴイ博物館でした。まだまだ国宝級が収蔵庫に眠っているようです。見たい仏像もあり、ぜひ再訪したいミュージアムです。
・・・気になっていた建物です。
◆【成福院・摩尼宝塔「宗教美術館」】◆
648-0211和歌山県伊都郡高野町高野山/0736-56-2109
成福院の前住職がタイ留学中に戦争が起こり、軍属僧としてビルマに入り、その悲惨な戦争の現場を体験したのがそもそもの始まりだそうです。帰国後、遺骨収集団に参加したりミャンマー(ビルマ)との交流を続けてこられました。そのような背景から、ビルマ戦線での戦没者の慰霊の為にこの摩尼寳塔が建てられました。様々な戦争関係の史料が展示されています。特に印象的なのが、ビルマ戦線で敗走中の兵士が詳細に書き綴った日誌です。戦友達が次々死んで行く地獄のような日々を記す、貴重な戦争史料です。この塔のテーマは「地獄」「極楽」「戦争」「平和」の四つです。