・・・まだ十分に時間はあるとはいうものの、自然と早足になってしまう。
・・・玄関が開かれていましたので、中でしばらく待つことにしました。
◆【重森三玲庭園美術館】◆
606-8312京都市左京区吉田上大路町34/075-761-8776
E-mail:shigemori@est.hi-ho.ne.jp
●重森三玲:1896-1975年。岡山生まれ。作庭家・庭園史研究家。画家を志し、上京するも挫折。その後、茶道・華道を深め研究し、独学で作庭を学ぶ。18歳の頃には、既に生家に「天籟庵」設計。重森三玲庭園美術館は、1929年、研鑽のため移り住んだ旧邸。京都での作庭は、東福寺方丈庭園・東福寺塔頭光明院庭園・大徳寺塔頭瑞峯院庭園・松尾大社庭園など。主な著作に「枯山水」「日本茶道史」「日本庭園史図鑑」ほか。
美術館は吉田神社の裏参道近くにある。吉田神社の社家である鈴鹿家の所有であったものを、昭和18年に重森三玲が譲り受け、昭和45年まで四半世紀をかけて作庭、自宅としたものである。現在は庭園美術館として、書院・書院前庭・好刻庵は予約制ではあるが、一般開放されており、お孫さんである三明氏が丁寧に解説下さり、少人数で拝観する庭園は誠に贅沢である。本宅及び、書院は江戸期の建造物であり、元々は近衛家が社家へ援助し建てられ、吉田神社へ参拝する際の潔斎場及び休憩所としての役割でもあったそうだ。
・・・木戸から入った瞬間の感動、まるで絵画である。
本宅・茶室などが重森三玲の美意識でもって加えられ、新旧混じり合った、格調高い建築となっている。書院のランプは親交のあったイサム・ノグチ作である。この庭は、吉永小百合さんが出ていたシャープの液晶テレビ「アクオス」のCMで使われたことがあり、限定的な公開にもかかわらず、訪問者がたえない。重森三玲には5人のお子さんがおられますが、京都大学に至近のこの邸宅は長女である舞踊家の由郷(ユーゴー)さんが受け継ぎ、由郷さんの長男の重森三明さんが重森三玲庭園美術館の館長をつとめています。
重森三玲は、鈴鹿家より受け継いだ大書院は最小限の修復にとどめ、昭和28年に無字庵と茶庭を作り、昭和44年に書院式茶亭・好刻庵を設計・作成し、昭和45年に大書院前の庭園を改作しました。建物内部に入れるのは、大書院と好刻庵で、無字庵と邸宅として使用している招喜庵には立ち入ることができません。三玲は、絵画や生け花にも造形の深い美術家であったので、建物内部の装飾にも大変凝っています。大書院前の庭園は、障子を額縁に見立ててみることを考えており、障子なしで見たときと印象が大きく異なるように設計されています。手前の大きな石は遙拝石で、この石が唯一鈴鹿家時代の庭園から受け継いだものとのことでした。三玲独特の豪快な立石の三尊石組で中心に蓬莱島を作り、周りに方丈、瀛州(えいしゅう)、壷梁(こりょう)の3島を配し、四神仙島の蓬莱神仙の世界を描いています。各島の苔で表した州浜は、三玲独特の湾曲した線を描き、書院手前の石を組み合わせて作られた州浜は、北野美術館庭園などで使われたアバンギャルドな感覚で構成されています。
・・・次は、茶室「好刻庵」へ移動します。