・・・池田で偶然に、
◆【池田市立歴史民俗資料館】◆
563-0029池田市五月丘1‐10-12/072-751-3019
・・・時間がありましたので立ち寄りました。
・・・まさか、ここで出会うとは、
●鍋井克之
旧姓は田丸。東美校卒。白馬会洋画研究所で長原孝太郎に師事する。二科会の創立以来出品を続け、第2回展で二科賞を受ける。渡欧後二科会会員となる。のち大阪で小出楢重・黒田重太郎らと共に信濃橋洋画研究所を設立、後進の指導に当る。二紀会創立会員。芸術院賞・大阪市民文化賞受賞。浪速芸術大学教授。昭和44年(1969)歿、80才。
池田市域の歴史は、今から1万数千年前、後期旧石器時代にさかのぽります。弥生時代には、北摂を代表する宮の前遺跡、古墳時代には、娯三堂古墳、巨大な石室をもつ鉢塚古墳が出現します。古代・平安の池田は、秦氏・坂上氏といった渡来系一族が大きく関わっています。中世~戦国時代は、北摂地域の覇権を争った池田氏の本拠地でした。池田氏は「富貴無双」と評され、地域支配とともに金融業もおこない、その収益だけで1万石に匹敵したといわれています。江戸時代、能勢街道の整備により、池田は能勢地域と大阪との中継地として栄え、酒造業・金融業が隆盛し、経済的繁栄は項点に達します。元禄時代には、将軍家御用の酒屋満願寺屋はじめ造り酒屋30数軒が年1万石以上の酒を造り、それらは盛んに江戸へ送られました。茶の湯に最上とされた池田炭でも全国に知られました。この経済的繁栄をうけ、呉春(日本絵画、四条派の祖)に代表される多くの文人墨客が去来し、ここに「池田文化」が開花します。歌人の津田道意・平間長雅、画家の桃田伊信、「呉江社」を興した儒者田中桐江、山川正宣・広瀬旭荘などの活躍があります。また、麻田藩第二代藩主青木重兼は、日本における黄檗宗の祖、隠元と深い関係を持ち、江戸前期に現池田市畑に「摩耶山仏日禅寺」を建立しました。このことから、黄檗宗・黄檗文化の資料がこの地に伝えられています。
●企画展:「江戸時代の学問-心学-」(小展示室)
平成25年12月20日(金)~平成26年2月16日(日)
江戸時代後期、池田の町では「心学」とよばれる道徳哲学が流行します。「立教舎」と号した心学講舎が中心となって、正直、勤勉、忠孝などを平易な内容で身に付け、その実践を目指しました。商人が多く住んだ在郷町池田にふさわしい学問でした。立教舎では、京都から著名な心学者を招き、講釈や講話を開催しました。その開講にあたり、辻に張り紙を出して一般聴衆の参加を呼びかけるなど門戸は開けていました。また、問答形式の勉強会・会輔が月3回ほど催されていました。これらの立教舎での動きは、館蔵資料で池田市指定文化財の「立教舎関係資料」から、知ることができます。企画展をご覧いただき、江戸時代の池田の人びとが学んだ学問の内容に触れていただきければとおもいます。
・・・小さいながら、充実したミュージアムでした。
重森三玲庭園美術館から、予約OKとの返事がまいりました。
●見学予約について
お申し込み有り難うございます。
当日、お待ちしております。
尚、ご到着は定刻にお願いいたします。
同時間にご覧になられる方々がおそろい次第、簡単に説明いたします。
当館には待合スペースがございません。
早く到着された方は裏手の吉田神社や京都大学キャンパスなどをご散策ください。
もう、待ちきれずに予定時刻よりかなり早く到着しました。
・・・メールに書いてくださったとおり、「吉田神社」などを散策することにしました。