ミュージアム | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・ミュージアム・シリーズを始めたので、最も近くて世界的な博物館へ


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ちか1


・・・もう何回来ただろうか、これまでとは違う角度から観察しようと思う。


◆【大阪府立近つ飛鳥博物館】◆

585-0001南河内郡河南町大字東山2990721-93-8321


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ちか2


・・・ということで


一須賀古墳群

南河内郡河南町一須賀、東山、太子町葉室にわたる丘陵上にある古墳群。6世紀前半から7世紀中頃にかけて築かれた、23支群・総数262基からなる古墳群である。高安古墳群・平尾山古墳群とともに、大阪府における三大群集墳と呼ばれる。ほとんどが直径10メートルから20メートルの円墳であるが、方墳も一部見られる。大半が横穴式石室であり、一部に木棺直葬、石棺式石室なども見られる。最大規模のWA1号墳(直径30メートルの円墳、現存しない)には、横穴式石室に組合せ式家型石棺が1体埋葬され、副葬品として須恵器、土師器、ミニチュア竈、純金製耳環、ガラス玉(青色34、黄色70)、金銅製冠片、金銅製履片、金銅装単龍環頭大刀柄頭片、馬具、環状金具、鉄刀、鉄刀子などが見つかっている。かなりの古墳において、ミニチュア炊飯具型土器(調査された48基中14基)や韓式系土器が副葬されており、また、朝鮮半島の影響を受けたと見られる玄室の床面が羨道部の床面より低い構造をもつ横穴式古墳があることから、渡来系氏族、特に百済・漢人系氏族との関連が指摘されている。昭和41年(1966年)に上野勝巳が分布調査を行い、その結果を「古代学研究」46号に発表した。昭和40年代初めからの開発会社(大和団地)による宅地造成工事により、西側の約30基は消滅した。大阪府教育委員会や河南町教育委員会は、宅地開発の事前調査や古墳の整備などで約70基の調査を実施した。古墳群の重要性を認識した大阪府は、古墳の最も密集している区域29ヘクタールを開発会社より買収して、保存を図った。その後、大阪府は古墳102基のうち、32基を見学できるように整備するとともに、見学のための園路を設け、昭和61年(1986年)に大阪府立近つ飛鳥風土記の丘として一般に公開した。平成6年(1994年)10月7日に、国の史跡に指定された。発掘調査による出土品の一部は、隣接する大阪府立近つ飛鳥博物館において展示されている。


・・・汗びっしょりになりました。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ちか3


エリア全体が遺跡博物館ともいわれる陵墓・古墳の宝庫「近つ飛鳥」の中核的文化施設として、1994年に開館した。古代の国際交流と国家の形成過程をテーマとする。「黄泉の塔」がそびえる階段状の建物は安藤忠雄の設計。自身の代表作として挙げるこの作品は、第26回日本芸術大賞他を受賞している。展示物は、近つ飛鳥と国際交流/古代国家の源流/現代科学と文化遺産の3つのゾーンに分けられている。「近つ飛鳥と国際交流ゾーン」では、古墳時代~飛鳥時代/4世紀から7世紀に、一須賀(いちすか)古墳群から夥しい数が出土した剣や刀、金具、耳飾り、指輪などが。「古代国家の源流ゾーン」では、堅穴式石室や横穴式石室などが実物大で再現され、古墳のつくり方や内部などを説明。再現された築造当時の姿の「大仙陵古墳」の模型も。最後の「現代科学と文化遺産ゾーン」では、1978年に古市古墳群の三ツ塚古墳から出土した修羅とテコ棒をはじめ、水中遺跡の調査や地中レーダー探査、X線撮影など文化遺産を発掘に使用するさまざまな技術について説明。また、博物館では定期的に学芸員が案内・解説する周辺の文化財見学も実施し、野外の文化遺産と博物館の一体性を深める活動も展開しているそうだ。講座や講演、イベント各種なども行われている。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ちか4


・・・これまで「古墳めぐり」をしてきた成果だろうか、展示物についてとても深く理解できるようになった自分に、驚いた。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ちか5


・・・前回に続いて、ガチャをお土産にしました。