◆【堺市立みはら歴史博物館(M・Cみはら)】◆
587-0002堺市美原区黒山281/072-362-2736
・・・開館10周年、お祝いの気持ちで行ってきました。
「カタチ造りの達人」をグランドコンセプトとして、美原区の重要な歴史遺産である中世の鋳造技術者集団「河内鋳物師」、24領の鉄製甲冑が出土した「黒姫山古墳」をメインテーマとした展示と、文化・芸術に触れ、交流できるホールとの複合施設です。愛称の「M・Cみはら」はMuseum(博物館)とCommunity(交流)をイメージしています。
当館は、今年で開館10周年を迎えます。それを記念し、美原区を中心とした地域の歴史文化を具体的な資料に即して紹介するものです。展示は、おもに「美原町史」所収資料を中心に、美原区内所蔵者はもとより広く各地に関連資料を求めました。なかでも美原区から他地域に流出した資料は、いわば里帰り展示とでもいえるでしょう。堺市全体における美原の歴史環境を概観することにより、地域のもつ歴史性や文化性を浮き彫りにし、郷土意識の高揚や再発見につながることを目的として開催いたします。
◇主な展示資料
鋳物師国郡別名簿(個人蔵)、河内鋳物師座法(名古屋大学蔵)、河内国丹南郡大保村記(名古屋大学蔵)、太井村明細帳(個人蔵)、丹南藩関係資料(個人蔵)、小寺村検地水帳(個人蔵)、平松寺梵鐘供出文(平松寺蔵)、明治期小学校資料(美原北小学校蔵)、法雲寺文書(法雲寺)、泉福寺焼経(立命館大学蔵)、阿弥陀如来立像(来迎寺蔵)、融通念仏縁起絵(大念寺蔵)、旧泉福寺蔵大般若経(個人蔵)、河内国絵図(個人蔵)
◇史跡黒姫山古墳ガイダンス施設/587-0002堺市美原区黒山302外
黒姫山古墳は、全長114メートル、前方部の幅65メートル、後円部の径64メートル、高さ11.5メートルの二段築成の前方後円墳で、百舌鳥古墳群と古市古墳群の中間に位置します。後円部の埋葬施設は、盗掘により破壊され消滅していますが、前方部中央から竪穴式石室が発見され、1947年から末永雅雄博士らによって発掘調査が実地されました。石室の中からは24領の甲冑をはじめ、大量の鉄製武具や武器が出土し、全国的に注目されるようになりました。これらの調査より、黒姫山古墳は古墳時代中期(5世紀中頃)に、この地域で勢力を誇っていた丹比(たじひ)氏によって築造されたと考えられます。また、中世には城の砦として転用されていたことも分かっています。1957年、黒姫山古墳のもつ重要性から国の史跡に指定され(1978年、周庭帯部分を追加指定)、平成元年からは、国と府の補助を受けて、環境整備が実施されました。整備では、黒姫山古墳の解説ビデオ上映設備のあるガイダンス施設等を建設し、「史跡黒姫山古墳歴史の広場」として親しまれています。出土した大量の甲冑は、現在までに大半が保存処理を終え、M・Cみはら(堺市立みはら歴史博物館)でその一部を展示しています。
・・・もちろん、黒姫山古墳をぐる~と周って帰ってきました。