ミュージアム | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

◆【松伯美術館】◆

〒631-0004奈良県奈良市登美ケ丘2丁目1番4号0742-41-6666


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ま1


母から子へ、そして孫へと3代にわたっての美術館だからこそ、私の母に見てもらいたかったのである。


松伯美術館は、上村松篁・淳之両画伯からの作品の寄贈と近畿日本鉄道株式会社からの基金出捐により1994年3月に開館。上村松園・松篁・淳之三代にわたる作品、草稿、写生等、美術資料の収集、展示を通じ、三代の画業を紹介している。また、広く日本画の普及、若手作家の育成を図るため、特別展、公募展等も開催している。名称の由来「松」は、松園・松篁両画伯の名前と、美術館所在地である故佐伯勇近鉄名誉会長旧邸の庭に植えられている百数十本の松に、「伯」は、画伯の伯と佐伯氏の伯あるいは邸内の茶室の号、伯泉亭に由来するものです。また「松伯(しょうはく)」の音は、常磐木である「松柏」にも通じるようにとの意味が込められています。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ま2


館内はもちろん撮影禁止なので・・・


旧佐伯邸

平成元年10月に86歳で亡くなった近畿日本鉄道の佐伯勇名誉会長が晩年まで暮らした家。現在は日本画家の上村松園、松篁、淳之三代の作品を収蔵する松伯美術館が隣接しています。同美術館は上村松篁、淳之両氏から作品の寄贈、近鉄から基金の寄付を受け旧佐伯邸の土地を利用し同美術館ができました。旧佐伯邸は昭和40年に村野藤吾氏の設計で建てられました。村野氏はそごう百貨店大阪店や志摩観光ホテル、京都都ホテル、大阪新歌舞伎座、八ケ岳美術館など名建物を手がけてきた建築家。また、庭園は「植為」の小島佐一さんの作。1万平方メートルの広大な敷地の中に建つ建物は、木造瓦ぶき一部銅板ぶき2階建ての本屋や、茶室、蔵など、それぞれが独立した外観を持ち外から見ると、多くの屋根が重なり合って見えます。建物の西半分にあたる本屋部分と本屋2階建て部分は私邸として使われていました。当時、主人室や夫人室として使われた和室などがあります。また、東半分は応接や和室、茶室など来客スペースとなっています。別棟の茶室「伯泉亭」は表千家残月亭を参考にした凝った造りの建物。九畳の和室でも茶席が開けるようになっています。一部に鉄筋コンクリートを用いながら木造建築のよさを発揮した建物で、大きな窓や西側に行くほど一部屋ずつ南へせり出した「雁行(がんこう)」と呼ばれる造りなど、屋根の形にも設計の巧みさを感じさせる邸宅。多くの緑にも囲まれ炉が設けられた和室では茶会も。隣接して別棟の茶室「伯泉亭」があり、茶室や本屋など多くの屋根が見え風格ある特徴的な煙突も素敵です。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ま3


村野藤吾(1891―1984)

建築家。佐賀県唐津生まれ。1918年(大正7)早稲田大学建築学科卒業。大阪の渡辺節建築事務所に入り、29年(昭和4)までチーフ・デザイナーとして多くの設計を手がける。29年独立して村野建築事務所を開設。翌30年欧米に遊学。帰国後の森五ビル(1931)などの設計で注目される。主要作に大阪の十合百貨店(1935)、宇部市民会館(1937)、世界平和記念聖堂(1953)、東京のそごう読売会館(1957)、日本生命日比谷ビル(1963)、千代田生命本社(1966)など。古典に近代感覚を自由に盛り込んだ作風と、熟達した実務派として高い評価を得た。55年(昭和30)芸術院会員、67年文化勲章受章。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ま4


「佐以知の庭」(小島庭園工務所「植為」5代目)

明治41年生まれの小島佐一氏は、戦前・戦後にたくさんの名園を残した小島庭園工務所「京都・植為」の5代目です。主な作品に「京都・旧川田邸」「横浜・三渓園改修」「料亭わらびの里庭園」「万国博覧会日本庭園・流れ及び茶庭」「古川邸(渡月亭)屋上庭園」「島根足立美術館庭園」などがあります。その他、京都を中心に、たくさんの優れた個人邸の庭を作庭されています。昭和10年から宮内庁の御用を賜り、京都御所、桂離宮、修学院離宮などに出入りし、環境省の京都御苑と共に独自の剪定手法である「御所透かし」の技法を開発しています。主な受賞歴に「京都府伝統産業優秀技術者賞」(京都知事)「卓越技能賞」(労働大臣)「勲六等瑞宝章」などがあります。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ま5


平日にミュージアムへ行けるようになったのはうれしいのだけれど、旧佐伯邸・茶室は土日しか開放されていません。むむむ・・・