大阪城(4)
■地唄「石橋(しゃっきょう)」箏:池上眞吾/唄・三絃:菊央雄司、菊聖公一、菊重精峰
能の「石橋」を原拠とする京阪歌舞伎の舞踊曲が地歌に残ったもので、遠くから聞いていただいても雰囲気の味わえる一曲です。箏は宮城流の池上先生、同じく菊筋の数少ない男性地歌継承者の菊聖先生と菊重先生をお招きし、質の高い迫力のある演奏を実現いたします。
「地唄(じうた)」は近年「地歌」の表記が増えてきたようだが、意味が2つあり、俗謡や土地の伝承歌の意と、上で触れた江戸初期に発生した三味線声楽曲で、三味線の弾き歌いの形式を原則とする歌曲様式で上方歌・法師歌・京歌等の別称を持つ類のものである。これは江戸に対する上方(地元)の歌なので地唄と呼ばれて上方(関西)で愛好されたためで、江戸では上方唄(かみがたうた)と呼ばれていたことによる。地唄の発生は上方で三味線の誕生に伴って起こり、江戸時代初期、現存する最古の芸術的三味線楽曲「三味線組歌」が誕生した後はこれに倣い、盲人の琵琶法師達、主に職業盲人演奏家・当道座の検校らの手により独自の発達を遂げ、作曲・伝承され続けた。その中で能楽の題材・詞章を取り入れた「謡物(うたいもの)」、浄瑠璃の移入、滑稽な内容の「作物(さくもの)」等も作られ、江戸後期には地歌を代表する楽曲形式である、歌と歌の間に三味線のみの間奏部分を有する「手事物(てごともの)」という形式も生まれた。現在の分類によると前述の組歌・謡物・作物・手事物の他、新しい工夫を加えた「端唄物(はうたもの、本項端唄とは別)」・「語物(かたりもの)」・京物(きょうもの)等の多彩な内容となっており、上方舞の伴奏としても知られている。
■残念石
元和六年(1620)から始まる大阪城修復の時天領小豆島(香川県)で割られたまま、用材石として念願かなわず、いまなお数多くのこされていることから「残念石」と呼ばれいる。この大きな石は、筑前黒田長政の石切丁場でみつかり、小さな石は豊前細川忠興の手になるものである。
■地下に眠る秀吉の大坂城
豊臣秀吉が天下統一の拠点として築城した初代大坂城は、「三国無双の城」と讃えられましたが、1615年の大坂夏の陣で豊臣方が敗れた後、徳川幕府により新しい大坂城が豊臣大坂城を覆い隠すように築かれて以来、今も地下に眠り続けています。
昭和34(1959)年、大阪市と大阪市教育委員会、大阪読売新聞社は、「大坂城総合学術調査団」を組織し、大阪城の謎の解明に乗り出しました。その調査のなかで、思いがけない発見がありました。上町台地の地質を調査するために行ったボーリング調査で、地下約9.3mの位置から石垣と考えられる花崗岩が確認されたのです。そこで、花崗岩が見つかった地点を中心に3m四方の範囲を掘り下げる調査が行われました。その調査によって地下約7.5mの位置で石垣が発見されました。見つかった石垣は高さ約2.3m以上あり、石垣上端には粘土がはられ、その上面は火災によって火を受けていました。
当時の新聞には、秀吉の城発見か、と大きく取り上げられました。見つかった石垣の石は、現在の大阪城の石垣と比べると、小ぶりの自然石が用いられており、石の積み方も「野面積」といわれる古いものでした。しかし、調査団は豊臣期の石垣であると断定することには慎重でした。ところがその翌年、偶然にも豊臣氏の大坂城本丸図が東京で発見され、その詳細な検討から、発見された石垣が豊臣氏大坂城の本丸「中ノ段帯曲輪」の石垣であると考えられるようになったのです。
昭和59(1984)年、「金蔵」の東側で新たな地下石垣が発掘されました。石垣の上端は地表下1.1mという浅いところにあり、石垣の高さは約6mありました。石垣が築かれた地面の高さは、昭和34年に発見された石垣上端の高さとほぼ同じで、石垣が築かれた地面が中ノ段帯曲輪、上端の地面が「詰ノ丸」であることが明らかとなったのです。
ったのです。
二つの石垣の発見によって、秀吉が築いた大坂城の石垣が良好な状態で存在することが明らかになったのです。しかし、世紀の大発見であったこれらの石垣は調査が終わると、再び埋め戻され、現在の大阪城では豊臣時代の石垣を見ることはできません。
大坂本願寺から豊臣時代、徳川時代を経て、近代、現代へと時代を重ねながらその価値を深めてきた大阪城。その歴史の重層性を象徴する遺構のひとつが、地下に眠る豊臣秀吉の築いた初代大坂城の石垣です。昭和59年に大阪城本丸の重要文化財「金蔵」東側の地下で発見された、豊臣時代の石垣を掘り起こし、大阪城の歴史文化に触れていただける公開施設の整備を進めるため、皆様からのご寄附を募ります。
・・・今回の最大の目的です。
■旧第四師団司令部庁舎(もと大阪市立博物館)
大阪市は、平成25年11月2日(土)から平成25年11月4日(月・振休)まで、大阪城本丸にある旧第四師団司令部庁舎(もと大阪市立博物館)のガイドツアーを開催します。当イベントは、秋の観光シーズンに合わせて旧第四師団司令部庁舎の内部を特別公開し、近代化遺産への理解を深めていただくとともに、大阪城の観光魅力を知っていただくことを目的とするものです。普段は非公開の旧第四師団司令部庁舎の内部を、大阪観光ボランティア協会のガイドがご案内する、ガイドツアーを実施します。庁舎屋上からは、天守閣や大阪市街を一望していただけます。また、同時に大阪城本丸で昭和34年に発見された豊臣時代の石垣遺構を特別公開します。
・・・まずは、建物外側全体じっくりを観察します。