中之島 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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中之島(21)


「中之島・剣先の謎」を解くために・・・


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昔の大阪の姿を調べるには、ここしかないだろうと・・


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■山口勝弘

1928年東京生まれ。さまざまなメディアを使って常に新たなアートの可能性を探り続け、日本の現代アートシーンに影響を与える。1948年日本大学法学部に入学。同年、北代省三、福島秀子らと「七曜会」を作り、抽象絵画を発表。1949年第1回読売アンデパンダン展、モダンアート展に出品。池田龍雄、瀬木慎一らと「世紀の会」結成。1951年北代、福島、武満徹、秋山邦晴らと「実験工房」を結成。翌年、実験工房展で瀧口修造が「眼のオルゴール」と呼んだ「ヴィトリーヌ」を発表。1956年東京・和光ホールで「清家清・山口勝弘/装飾空間展」開催。1960年篠田守男、建畠覚造、毛利武士郎らと「集団現代彫刻」を結成。1966年第7回現代日本美術展に「Cの関係」 を出品。1967年第4回長岡現代美術館賞展で大賞を受賞。1968年磯崎新、薄金宏太郎らと株式会社「環境計画」を設立。同年、第8回現代日本美術展で東京国立近代美術館賞受賞。1970年大阪万国博覧会で三井グループ館チーフプデューサーとして全体劇場を構想演出。また「光の立方体」を展示。1972年かわなかのぶひろ、小林はくどう、中谷芙二子らと「ビデオ・ひろば」を結成。1974年第11回現代日本美術展で「ラス・メニナスNo.1」を発表。1977年筑波大学芸術学系教授となる(1992年まで)。1982年グループ「アール・ジュニ」結成に参加。1990年淡路島芸術村計画の推進運動を始める。1992年神戸芸術工科大学視覚情報デザイン学科教授となる(1999年まで)。2001年病に倒れるが、 リハビリに励みながら制作活動を続けている。2006年神奈川県立近代美術館で回顧展開催。


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大阪市立住まいのミュージアム

「住まい」をテーマとした日本初の専門博物館である。高度な学術性を踏まえ、市民の目線に立って歴史を読み解き、見せる展示を超えた「体感する」展示を目的とし、「住まいと暮らし」の情報交流拠点としての集客型ミュージアムを基本理念としている。1990年に「大阪市内の住宅に関する情報サービスや相談、さらに新しい住まいや大阪の都市居住の歴史などについても知ることができる総合的な住情報拠点」として、現在の「住まい情報センター」の構想が位置づけられた。1999年11月に大阪市立住まいの情報センターが開設され、1年半後の2001年4月に大阪市立住まいのミュージアムが誕生した。大阪の都市居住の歴史を楽しく学ぶ中核施設、また「住む町・大阪」に対する愛着とイメージアップを図る住情報の拠点として、住まい情報センターの活動の一翼を担っている。2002年4月には、愛称として「大阪くらしの今昔館」が決定した。


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・・・残念ながら「中之島・剣先」に関するこれといった資料は見当たらなかったが、素晴らしいジオラマを堪能することができた。


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行き帰りの車中、ようやく「プリンセス・トヨトミ」を読破し、先日はそのDVDも視聴したところである。「中之島」同様「空堀」も私の大好きな大阪である。