中之島 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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中之島(18)


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-れき1


大阪大林ビル

1973年(昭和48年)大阪初の超高層ビル、大阪大林ビル竣工。本店を移転。このビルには国内において希少な存在である、パンタグラフ構造による可動機構を備えるダブルデッキエレベータが設置されている。大阪大林ビルは西日本初の本格的超高層ビルとして46年1月着工した。大阪に創業以来81年、旧本店を建設した時からでも45年近くがたっていた。当ビルの特徴は、構造の最大の特徴である大林式クロス・ストラクチャーについて村松貞次郎助教授は、『マンスリー大林』(48年2月号「耐震建築の歴史」)の中で次のような感想を述べている。「・・・地上32階、高さ120m、外観は、みるからに逞しい。その構造を支えるのが十字形の大架構、すなわち大林式クロス・ストラクチャーで、建物のコア(芯)に設けられた耐震壁を、16階にある高さ3mの大型の梁で十字形に支える構造である。なかなかうまいアイデアだと感心した。人間の背骨のように建物の中心に剛(かたい)棒状のコアを下から上まで通して、地震の横ブレの力に耐えるようにするのは、超高層建築の常識だが、そのコアが長ければ(すなわち高くなれば)長いほど、どうしても曲ったりよじれたりする。それをちょうど高さ半分の16階の大梁と、外側の柱でしっかり押さえつけるわけだ。地震国日本で、超高層建築を、スマートな外観と経済的な平面とをねらって建てようとすると、技術者の苦労はたいへんなものだとしみじみ感じた・・・」当ビルの建つ場所は、そのすぐ前にある旧本店の設備部が入っていた分室やガレージがあった敷地で、これを整備したものであった。西日本で最初の本格的超高層建築ということで、本店ビル建設委員会(嶋道朔郎委員長、荒川初雄副委員長)のもと谷口尚武専務取締役(46年当時、以下同様)、意匠設計を栄木一成本店建築本部設計部主査、藤繩正俊同部職員、構造設計を木田幸夫東京本社建築本部設計部次長、高木正敏同部主任技師、設備設計を堀大成東京本社建築本部設備部設計課長、中原信生同部計画課長らを中心に45年1月から検討を重ねた。工事費は55億6,253万円、所長は新開信之であった。また、錦上華を添えたのが二つの彫刻と壁画であった。1階ロビーにある流政之氏の「とうりゃんせ」、前庭にあるルドルフ・ウヘール氏(チェコスロバキア)の「STONE AND FIRE」と、地下1階食堂にある勝本富士雄氏の「Rising Sun」である。

※「錦上花を添う意味

美しく立派なものに、さらに美しく立派なものを加えることのたとえ。良いことやめでたいことが重なるたとえ。美しい錦の布の上に、さらに美しい花を飾る意味から。「錦上に花を添う」ともいう。

■流政之

1923年長崎県に生まれ、幼少時代は東京で過ごす。1936年京都に移り、1942年立命館大学法文学部へ進学。その後中退し、海軍予備学生出身の零戦搭乗員として終戦を迎える。その後、世界各地を放浪、独学で彫刻を学び現在に至る。1964年にニューヨーク世界博覧会で壁画「ストーンクレージー」(日本から2500個、600tの石を運んだ。)を展示し話題を呼ぶ。1975年には、ニューヨーク世界貿易センターのシンボルとして約250トンの巨大彫刻『雲の砦』をつくり国際的評価を得る。また、作品『受』はニューヨーク近代美術館の永久保存作品(パーマネントコレクション)として収蔵されており、彼の国際的評価の高さを裏付けている。1967年には、TIMEが選ぶ日本を代表する文化人の一人に選ばれた。彫刻家として活躍するかたわら、庭園の作品も残す。代表作に東京天理教館庭園、皆生温泉東光園庭園などがある。1987年に日本経済新聞「私の履歴書」に自伝を掲載する。最近の作品に、関西学院大学理学部(現理工学部)の兵庫県三田市への移転を記念して制作された『月わたり』(2001年、黒御影石)、立命館慶祥中学校・同高等学校に寄贈された『NANDABE』(2004年)などがある。2005年11月8日、JapanStoneFairにおいて「こころわけ」を発表。2013年(90歳)現在、高松市郊外の庵治半島の北端近くにアトリエを構え住む。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-れき2


残念ながら、これといった手がかりを得ることはできなかった。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-れき3


再び中之島公園へ・・・なんだ?これは。


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今年は・・・


MuDA

ダンサー・振付家のQUICKを中心に、作曲家 山中透、美術家 井上信太ら、異ジャンルのソリスト達が集まり、京都を拠点に2010年夏結成。 身体、感覚を極限の状態まで突き詰め、その限界値を超えてゆくことにより、更なる未知の世界へ到達することを目的としているアーティスト集団。生命、身体、負荷、儀式、宇宙をテーマに、ダンス、音楽、映像、美術などを使用したパフォーマンスを行う。水辺に絶滅危惧種の動物たちを設置した、いのちの為の特別区域「MuDA特区」が出現。特区の象徴「最後の泉」の上で、いのちの衝突、循環をテーマにした舞台公演も行う。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-れき5


2009サファリパークプロジェクトin中之島井上信太

1967年生まれ。京都精華大学芸術学部メディア造形科映像、デザイン学部ビジュアルデザイン科イラストレーション非常勤講師。庭や建物の敷地内に動物型のパネルを設置し、風景を変貌させ る羊飼いプロジェクトを中心に国内外で多数の展覧会を行なう。近年は、多領域のアーティスト とのコラボレーション、劇場舞台、茶室など新しい空間での平面構築を積極的に取り組み、次世 代平面表現の可能性を探っている。

2006年「ホエールトーンオペラ」舞台美術(えずこホール/宮城)「赤い長靴」装画(江國香織著/文芸春秋)

2007年「羊飼いプロジェクトin六甲アイランド」(アートカレッジ神戸/兵庫)「Level horse」舞台構成(代官山UNIT/東京)「めくるめく紙芝居」舞台美術(大善院・本堂東御坊/京都)「サファリパークプロジェクト」(国営昭和記念公園・東京)

2008年「ホスピタルサーカス舞台公演」(滋賀県立小児保健医療センタ-/滋賀)「ピクニックエキスポ:サファリパークプロジェクトin柏の葉キャンパスシティー」(柏の葉/千葉)「五感の学校企画『へんないきものを作ろう』ワークショップ」(千葉大学シーズホール/千葉)

2009年「サファリーパークプロジェクト in 中之島」(水都大阪2009・水辺の文化座/大阪)「BIRD TOWN PROJECT」(近江八幡市立かわらミュージアム/滋賀)「鳥の巣箱プロジェクト2009」(東横堀川/大阪)


・・・撤去忘れなのか、それとも「あえて」忘れたのか。どれほどの人が気付いただろう?