ジジ・オネット | すくらんぶるアートヴィレッジ

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ジジ・オネット(2)


イギリスBBCによると・・・


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ジェリー・アンダーソン

2012年12月26日、特撮人形劇「サンダーバード」を制作したジェリー・アンダーソンさんが83歳で亡くなったそうです。2010年からアルツハイマー病を患い、ここ6か月は健康状態も悪化していたとのこと。1965年、特撮を用いて操り人形劇によるテレビ番組「サンダーバード」を制作。「国際救助隊」が事故や災害に立ち向かう「サンダーバード」は人気を集め、繰り返し再放送されました。他にも「キャプテン・スカーレット」「ジョー90」等も有名です。


ジョン・ブンダール

サンダーバード人形浄瑠璃とは、深い関係で結ばれていました。ジョン・ブンダールというサンダーバード人形の作者が、むかし神戸に在住していた時に浄瑠璃の修理・造作する仕事をしていたのでその繊細な動きを活かせないかと考えてサンダーバード人形ができたそうです。

ブランダール氏は1937年3月3日バーミンガム生まれ。10代より操り人形に興味を持ち19歳のとき、人形劇団「ザ・フェスティバル・マリオネット」設立。舞台芸術の分野で演者と監督の両面に関わる。世界中の操り人形や仮面の表現方法、制作技術を研究。その後、人形作家と操り師の両方の才能をかわれ、ジリー・アンダーソンのTVシリーズ「スーパーカー」に参加。「サンダーバード」でパーカーを生み出す。31歳のとき、バーミンガムで「キャノン・ヒル・プペット・シアター」設立。舞台監督を務め、操り人形の失なわれゆく技術保存、後進の指導にも力を入れる。その活躍の場を世界に広げる。国際人形連盟(UNIMA)のイギリス支部名誉会長にも選ばれる。同館に寄せられた文章には「サンダーバード」の名脇役パーカーの人形は、日本の能面と文楽の影響を受けている。「世阿弥」や能、文楽の書物に書かれている技術や訓練方法の影響も受け、それらをただ真似するのではなく、その中にある精神と様式を見い出し、西洋演劇の新しい発展の為の跳躍台として使うと述べる。そのブランダール氏の人形作家としての創作活動を長年に渡り物心共に支えたのが、日本の能面師鈴木能仁である。それはちょうどブランダール氏が能面と文楽の頭作りに取り組んでいるとき、ロンドンで鈴木能仁に自作の「般若」の面を見せると強い印象を受けて、神戸に帰ると大量の彫刻刀が送られてくる。ブランダール氏も鈴木能仁の能面展、ワークショップ、デモンストレーションを成功に導く。それ以来、23年間、お互いに言葉は通じないが、何十面もの能面、文楽の頭、長澤氏春の本、彫刻刀などが次々と海を渡り送られた。この交流は鈴木能仁が亡くなるまで続いた。ブランダール氏はそれらの能面から力強いエネルギーと芸術的なインスピレーションを受けて人形を制作。そして、名脇役パーカーが生まれた。鈴木能仁は能面を通じその一生を海外文化交流に貢献。イギリス・フランスで数多くの能面展を開催。その作品は大英博物館、ビクトリア&アルバート美術館、ホーニマン美術館に収蔵。鈴木能仁が40年間「師」と仰ぎ最後まで能面の交流のあった長澤氏春が平成15年4月他界。恩師の後を追うように鈴木能仁もその年11月逝去。英国に訃報を知らせるや、ブランダール氏からの手紙には幾年月の間、友情の絆で結ばれた鈴木能仁の死を悼む悲しみが綴られる。


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そして、日本の作家で衝撃を受けたのは・・・


辻村寿三郎

1933年(昭和8年)11月11日-)は、日本の人形作家、人形操作師。アートディレクター。旧名は辻村ジュサブロー。

1933年

旧満州国錦州省生れ。少年時代を中国大陸で過ごす。育った料亭で芸者の着物や端切れに親しみ、物心ついたときには割り箸で人形を作っていた。

1944年

11歳で日本に引き揚げ。広島市内の横川(現西区横川町)に1年ほど住む。

1945年

原爆投下の3ヶ月前に母の郷里で中国山地の山間の町、広島県三次市に越す。横川は爆心地から2キロほどの地点にあったため、あのまま広島市内に居たらこの世にいなかったかも知れない。戦後 三次中学(現三次高校)卒業。裁縫士になるべく洋服屋に奉公するが三年で辞めるなど、他の仕事も長続きしなかった。しかし入った演劇サークルで看板書き、舞台装置、役者のかつら造りなどをする。

1954年

母の死をきっかけに広島に来演した前進座の河原崎国太郎を頼り役者を志して上京。その後河原崎の紹介で小道具制作の会社に就職

1959年

26歳で独立、幼い頃よりの趣味であった創作人形を一生の仕事と決意

1961年

第13回現代人形美術展で『八百屋お七』が入選。以後、同展で特選・佳作となるなど人形作家としての地位を確立

1973年

NHK『新八犬伝』で人形美術を担当、300体もの人形を作り、一躍人気作家となる


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その他その異才ぶりを遺憾なく発揮し、数々の創作人形の発表、人形芝居の上演、舞台衣裳デザインなど精力的な活動は行う。日本を代表する人形作家でありながら人形の世界にとどまらず、総合的なアーティストとして各方面より大きな注目を集めている。また人形館(ジュサブロー館)では作品展示の他、アトリエを公開しファンとの交流を図っている。現在人形町で唯一人の人形職人である。なお文楽人形遣いの2代目桐竹紋十郎に人形制作のいろはを教わった。


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国立マリオネット劇場(National Marionette Theatre)

旧市街広場の近くジャテツカー(Žatecká)通り位置してます。その専門人形劇場は1990に創立されました。プラハの伝統的な庶民文化はもちろんのこと、チェコ共和国全体の文化の伝統を誇ります。かつてから心を込めて作られてきた木製の人形は、職人業の逸品です。国立マリオネット劇は、20年以上もの間、ドンジョヴァンニやマリオネットガラなど、マリオネットならではの特別な作品を発表してお客様に楽しんでいただいております。ヴォルフガングアマデウスモーツァルト素晴らしいオペラ“ドンジョヴァンニ”を1787年シュテンデ劇場で初演した時は、モーツァルトが自ら指揮をいたしました。このオペラはプラハのために作曲されたものです。モーツァルトの時代に敬意を示しつつ、1991年からナショナルマリオネット劇は2500回以上の公演にて成功しております。趣のある伝統的な衣装を着た等身大のマリオネットが演じる劇は、皆様を18世紀の世界へ誘うとともに、その当時の雰囲気をモーツァルトの音楽と楽しんでいただくことができます。

マリオネット劇場(Marionette Theatre)

カレル橋の近くに位置してます。その専門人形劇場は1996に創立されました。毎日人形劇をお客様に紹介します。劇場の建物にも人形博物館があり、人形劇の教育もあそくで行われます。最も人気がある上演はモーツァルトのドン・ジョウァンニ(Don Giovanni)です。その劇はマリオネット・劇場で毎日17時と20時からで行われます。観光客で人気がある劇場です。カレル橋から旧市街広場に行く方向で、カレル橋から50メートルぐらいカレル通12番の建物でその人形劇場があります。劇場の入り口の上に大きい木彫りの人形があるのですぐ目立ちます。シーズン・オフ10月から4まで5時の公園だけが行われます。希望者の人数が15名に超えしない場合には公園はキャンセルすることがあります。


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ザルツブルク・マリオネット劇場

350席から成るこの見応えあるバロック様式の劇場は世界屈指のマリオネット劇場として有名です。マリオネットによって様々なオペラ、オペレッタそしてバレエの世界が小さなステージ上で繰り広げられ、操り人形とはとても思えないその優雅な動作はまるで生きた役者の演劇のようで、観客の感動を誘います。ザルツブルク・マリオネット劇場はこれまでも世界クラスの舞台監督やデザイナーを惹きつけてきました。1996年のザルツブルク音楽祭にて上演されたヴェーバーのオペラ「オベロン」でもザルツブルク・マリオネットは活躍し、好評を得ました。演じられる劇の時代背景に合わせた古典的な舞台デザインを誇ります。




・・・チェコ人にとって、マリオネットはオモチャではなく、文化だといいます戦争に何度も巻き込まれてきたヨーロッパの心臓であるチェコは、1526年から第一次世界大戦においてドイツによるゲルマン化が進められました。そのためチェコ語を話すことは禁止され、チェコ人のアイデンティティは失われかけました。しかし、独特の言い回しを主体とする人形劇だけはチェコの文化としてチェコ語での上演が許可されていました当時のチェコ人は大人も子どもも人形劇場に出向き、唯一胸を張ってチェコ語で会話ができる劇場をアイデンティティの確認できる場所として大切にしてました。