古市古墳群 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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50野中寺


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-の1


野中寺については、竹内街道でも紹介しましたが・・・


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-の2


寺伝によると、聖徳太子の命により蘇我馬子が創建した寺院だと説明されています。これに従えば、野中寺の創建は、蘇我馬子が物部守屋を滅ぼした「丁末の乱」(587)の以後から太子が没した推古天皇30年(622)の間となります。しかし、当寺院の境内に残された塔土壇の発掘調査で創建は推古天皇6年(650)頃であることがほぼ確実視されています。よって聖徳太子発願蘇我馬子建立説は聖徳太子信仰の高まりの中で生まれたものであろうと考えられています


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-の3


野中寺境内にあるヒチンジョ池西古墳石棺は、塚穴古墳(来目皇子墓)の西方にあった古墳で1948年頃の開墾の際に発見された横口式石槨の古墳です。横口式石槨は精巧に加工した凝灰岩を組み合わせて作られており内部からは銅製釘や黒漆の残片が見つかっているので漆を塗った木棺が安置されていたと考えられています。横口式石槨の形態などから7世紀末葉に築造されたものとみられその後、昭和40年(1965)に、野中寺にこの石棺が移設されました。1973年には、大阪府指定文化財になっています。古墳のあった羽曳野丘陵一帯はかつて寺山と呼ばれ同じような終末期古墳や奈良時代の火葬墓が多く、周辺に居住していた渡来系氏族たちの墳墓と考えられています


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-の4


51野々上埴輪窯跡

昭和56年(1981)にボケ山古墳(仁賢陵古墳)の北西に隣接する丘陵斜面で、並んで築かれた2基の埴輪窯が発見され、本市教育委員会によって発掘調査が行われました。東側の1号窯は地下式窖窯で天井部はすでに崩落していましたが、全体としては比較的良好に残存していました。焚口から焼成部までの長さは6.5m、焼成部の最大幅は1.6mありました。中からは円筒埴輪や人物埴輪、盾形埴輪などが多数出土しました。西側の2号窯も同じく地下式の窖窯で、保存のため内部の発掘を行っていませんが、長さ約5m・幅1.4mの大きさであることが確認されています。埴輪窯が作られたのは6世紀前半頃で、すぐ南にあるボケ山古墳で使う埴輪を焼いていたと考えられます。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-の5


52野々上古墳

藤井寺市青山3丁目にあり、宮内庁は埴生坂本陵い号陪塚として管理しいます。墳丘は単純な四角形方墳で、墳丘の一辺が20m高さ2mと測られています。円筒埴輪などが採取されており墳丘には埴輪の配列がなされていました。