20翠鳥園遺跡公園
近鉄「古市駅」から西に歩いていくと「イズミヤ」があります。
その駐車場横に・・・
今からおよそ2万年前の石器作りの跡が、当時の状況そのままに30ヵ所以上も発見されました。石器作りの跡にはおびただしい数の石のかけらが残され、中には石が飛び散ったようすから、作り手のいた場所がわかるものもあります。石器の材料になった石は二上山の麓でとれるサヌカイトで、5kmほどの道のりを運んできたものです。するどく割れるサヌカイトの特徴を生かして、先の尖(と)がったナイフ形石器が主に作られていました。
出土したのは500点以上の石器のほかに、石器を作る時に出た2万点以上の石のかけらです。これらを接合すると、割る前の元の石の姿を復元することができ(石器接合資料)、旧石器時代の石器の作り方を、詳しく知ることができます。翠鳥園遺跡は、遺跡公園として公開されています。石器を作るために打ち割った石を表した大きな卵形のモニュメントを通り抜けると、目の前には旧石器時代の石器作りの跡を望めます。石器を作った場所(アトリエ)は、発掘でみつかった状態を模型や実物大の写真を使って再現してあります。奇跡的に残っていた旧石器人のアトリエをどうぞ訪れてみてください。
この卵型モニュメントがとても気に入ってます。
夜も素敵ですよ。
「イズミヤ」のさらに西側の道路を渡ったところに・・・
21青山古墳
青山古墳は、藤井寺市域の南部、青山2丁目の住宅地の中にあります。径65メートルの円墳で、墳丘の南西部分には、造出しと呼ばれる、幅25メートル、長さ17メートルの方形の突出をもっています。墳丘のまわりには濠がめぐっています。濠の調査では、円筒埴輪や家・衣蓋・盾・靫・馬・人物形などの形象埴輪が見つかりました。この古墳は5世紀中葉に造られたものです。青山古墳の南側で青山住宅を造成する際に大阪府教育委員会が昭和53年(1987)に発掘調査を実施しています。調査では、前方後円墳1基、方墳4基が見つかっています。新たに見つかった5基の古墳は、青山古墳を1号墳として、青山2~6号墳と名付けられました。これらをまとめて青山古墳群と呼んでいます。これらは5世紀中葉から末葉にかけて造られたものです。ところで、青山1~6号墳は東と西の大きく二つのまとまりに分けられます。そして、東のまとまりは1号墳→4号墳→2号墳の順、西のまとまりは、6号墳→5号墳→3号墳の順に造られたことが分かっています。このことは、5世紀中葉から末葉にかけて二つの集団の長が3世代にわたり、一定の共通の空間の中で古墳を造り続けた結果であると考えられるのです。そして、この二つの集団はお互いに親密な関係にあったことも想定されます。藤井寺市教育委員会が平成11年(1999)に青山古墳(1号墳)の東側で実施した調査でも新たに円墳が見つかり、青山7号墳と名付けられました。なお、青山古墳群の南側の羽曳野市域では軽里古墳群が見つかっていますが、その立地からみて、この二つの古墳群は相互に関連づけて考える必要があるようです。