高野街道(81)
■紀見峠
河内国(大阪府)と紀伊国(和歌山県)の境で、標高は400メートル。眼下には橋本市の中心部、東南に山上岳の峰々、南西には目指すべき高野山を眺めることができます。眺望が素晴らしく、「よく紀の国を見える」ということから、「紀見峠」の地名の由来となりました。「紀伊見峠」とも表記され、現在も橋本市側に集落があります(旧伊都郡柱本村紀伊見峠)。古来から様々な人々が往来した峠ですが、慶長19年(1614年)10月9日には、和歌山県九度山町に幽閉されていた名将・真田幸村が、監視の目を欺いて、決死の脱出行で、深夜の紀見峠から高野街道を北上して大坂城に入城したといわれています。江戸時代の慶安元年(1648年)に紀伊藩が伝馬所をもうけたことをきっかけに、人々が移住しはじめ、大坂屋、虎屋といった旅籠や茶店が軒を連ねて、1日に300人もの旅人が寝泊まりできる宿場町にまで発展しました。しかし、明治33年(1900年)に紀和鉄道(現・JR和歌山線)が開通、大正4年(1915年)には大阪高野鉄道(現・南海高野線)の紀見峠トンネルが完成すると、紀見峠を利用する高野山参詣者は激減してしまい、宿場町としての役割を終えました。
■六里石
堺市の大小路橋から六里のところにあり、峠の旧街道脇に「高野山六里道標石」が設置されています。
・・・「腰痛の神様」には腰痛の人はたどりつけそうにありませんね。
国道371号線をまたいで・・・
ふたたび坂道を登っていきます。
■南海電鉄「紀見峠駅」橋本市矢倉脇
岩湧山への登山口としてハイカーの利用が多いこの駅は、大正4年(1915)3月に開業しました。駅名の由来となった「紀見峠」は駅から約1.5キロ北に位置し、2本の鉄道トンネルが貫通しています。上り線の紀見トンネル(1561メートル)は、高野鉄道が明治33年(1900)に堀削開始した工事を高野登山鉄道が引き継ぎ、大正3年(1914)11月にようやく完成しました。下り線の新紀見トンネル(1853メートル)は、昭和47年(1972)に着手した河内長野~橋本間の複線化工事に伴って48年5月に堀削を開始し、51年4月に使用を開始しました。
■紀見トンネル
大阪府河内長野市と和歌山県橋本市をつなぐ国道371号の紀見トンネル内でコンクリート製の側壁が落下したことを受け、和歌山県は1月4日、原因を探るため現場で緊急調査を実施した。落下した側壁の周囲では、これ以上の落下の恐れはないとしている。調査は、落下した側壁の周囲をハンマーでたたくなどして、コンクリート内の割れ目の有無を調べるほか、水漏れや腐食がないかを目視で確認した。トンネル内の側壁全体も調べる。側壁の落下は1月3日正午ごろ発生。大阪側から約300メートル入った東側が、約1メートル四方にわたって剥がれて歩道に落ち、破片が車道に散らばった。和歌山県は昨年12月、中央自動車道笹子トンネルの天井崩落事故を受けて天井板の緊急点検を実施したが、今回の緊急調査でも側壁が落下した周辺の天井板についてもあらためて点検した。今後は、県が管理するほかのトンネルの一斉調査も検討するとしている。
・・・今年早々のニュースでしたね。