高野街道(79) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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高野街道(79)


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-かに1

妙雲山安明寺

「島の谷」信号を下り、中村橋をわたって東南約30メートルほどのところにある真言宗御室派の寺院です。御本尊は阿弥陀如来で、両脇に不動明王と弘法大師像が祀られています。詳しい創建年代は不詳ですが、本堂の改修工事の際に、天井裏の柱に書かれた記録によって、江戸末期の弘化3年(1846年)に再建されたことが判明しました。本堂内には小さな仏像が十数体ほど安置されていますが、これは再建した当時に村人が高野山の仏師に依頼して彫刻してもらって、村人が高野山から仏像を背負って持ち帰ったという話が残っています。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-かに2


蟹井神社

御祭神は神武天皇、応神天皇、神功皇后で、社伝によれば、初代天皇の神武天皇が東征した際に、紀ノ川を上って紀見峠にて紀の国を視察して、天見川の大石、小石を集めて、皇祖神の天津神を奉って戦勝を祈願した跡という伝承があります。天喜3年(1099年)8月19日に社殿が造立され、このあたりは甲斐の庄といわれていたことから、当初は「甲斐神社(かいじんじゃ)」と呼ばれていましたが、いつのまにか「蟹井神社(かにいじんじゃ)」に転訛したといわれています。また蟹井という名称の起こりは、天見川に「蟹井の渕」という深渕があって、ここから当社の御神体が出現したためという説などもあります。南北朝時代には南朝方、楠木方の武将が篤く崇敬して、戦勝祈願したといわれていますが、延宝2年(1676年)に焼失して、現在の社殿は、その頃に再建されたものです。明治5年(1872年)に村社に列して、明治41年(1908年)、岩瀬村の菅原神社を合祀して現在に至ります。秋祭りには、神輿が出て、前日の宵宮(10月9日)では、島の谷・見坂・茶屋出の各地から、高提灯の行列が、祇園囃子を歌いながら神社へ参拝する「提灯祭」を行います。


・・・「紀見峠」にの向かう前に、どうしても確認しておきたいものがあって、「出合ノ辻」まで引き返しました。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-かに3


「八幡神社」の駐車場に車をとめて、見落としてはならないのでトコトコと坂道を登り・・・


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-かに4


第1の目標「緊急用電話ボックス」?を発見しました。その横の畦道?を少し下り、第2の目標「明仁親王記念碑」?を確認し・・・


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-かに5


先達が残してくれた標示板までたどり着いたものの、その先がわからず右往左往しました。