高野街道(78)
■八幡神社
京都の石清水八幡宮別宮である。通称「流谷八幡神社」。社格は村社。祭神は八幡神(応神天皇、神功皇后、比売大神)。創建は長暦3年(1039年)京都の石清水八幡宮より八幡神を勧請、社殿を造営したことによる。大祭は1月の新年祭、10月の秋例大祭、11月の新嘗祭。神社に伝わる鉄製湯釜は府の文化財で、延元5年(1340年)の作。なお、通称の流谷八幡神社で呼ばれることが普通であるが、鳥居の表示、宗教法人名簿上では「八幡神社」の表記である。
八幡神社では毎年7月に行われる探湯祭の時に湯立て神事が行われる。湯立て神事はまず神庭を清浄にした後、湯釜を拝殿の前に置き、お湯をたぎらせ神米と神酒と塩を加え笹葉でかきまぜる。その熱湯を笹葉で氏子たちに振りまくようにかける神事であり、無病息災、家内安全を祈願するものである。この湯釜は鍔をめぐらせた羽釜に獣脚三足を備えた鉄製の湯釜で、羽の上面に延元5年(1340)の鋳造銘を陽出する。八幡神社は葛城二十八宿の「流谷金剛童子」に近く、修験との関わりが想像される。
境内の銀杏は、雌株で樹高30m、幹回り5.5mの大木。幹の付け根部分は幾つかの乳状の突起が垂れ下がり根は急斜面の岩盤に張り付くように露出し、力強さを感じられ樹齢400年と推定されている。大阪府指定天然記念物。
■南天苑
もと堺大浜にあった「汐湯」を昭和10年に、古来より鉱泉の湧く天見にそっくりそのままのかたちで移築し、高野山参詣のための温泉旅館にしたのが始まりだそうです。四方を山に囲まれ豊かな自然の中に、三千坪に及ぶ日本庭園がある天然温泉です。平成14年9月、明治建築研究会・柴田正巳代表らが、発見された資料をもとに、南天苑本館が堺大浜潮湯別館・家族湯を移築したものであり、設計者は、東京駅・日本銀行本店・中之島中央公会堂などを設計した明治時代の名建築家・辰野金吾の設計であることを確認しました。そして、大正・昭和初期の建築様式を偲ばせる貴重な建物であり平成15年(2003年)3月20日国の有形登録文化財に登録されました。
■正法大師堂
国道沿いにはためく、赤い幟が目を引きます。
・・・「島の谷」の信号から集落へと下っていきます。