高野街道(74)
「千早口」駅を通り抜けて、国道371号線のバイパスに出てきました。こんなところに「七里石」の案内看板が建てられていましたので、ついつい探しましたがありません。仕方なく、国道を突っ切って「地蔵寺」まで行ってしまいました。
国道交差点には「行き止り・関係者以外進入禁止」などと看板が立てられていますので、とてもためらいましたが・・・なかなか雰囲気のあるお寺です。残念ながら公開されていません。
■地蔵寺/河内長野市清水
南海高野線千早口駅の南西約500mの谷筋にある真言宗御室派の寺院です。別名・清水地蔵寺。山号は九華山。大阪府指定名勝、河泉二十四地蔵霊場第一番。本堂には、仏師 運長作と伝わる地蔵菩薩半跏像が安置されています。この寺院は、清水村出身の江戸時代の高僧蓮体和尚が元禄4年(1691)に再興したものです。当時、清水村を支配していた西代藩主本多忠統は、蓮体和尚と親交がありました。忠統はこのあたりの風景を好み、中国の九華山にみたて詩作に興じました。忠統は蓮体和尚に「九華山」の山号を贈り、享保2年(1717)にそれまでの「玉井山」から改められ、今日まで続いています。地蔵寺境内は4,500㎡あります。春はシャクナゲが美しく咲き、秋は紅葉が境内を彩り、四季折々の美しさを見せる地蔵寺は、昭和45年12月7日に大阪府の名勝に指定されました。通常、非公開です。
国道から、またまた旧道に入り・・・
■松明屋(松明茶屋)
弘法大師が京都・東寺(教王護国寺)から高野山に百箇日参りをして、最終日の百日目を迎えたときに、この地で夜明けを迎えられました。明るくなったので松明を大地に突き刺すと、松明から根と枝が伸びて、みるみるうちに大木に成ったという伝承があります。また弘法大師が、京都の嵯峨天皇に参内するために高野山から降りてきたさいに、松明屋付近の村人におもてなしを受けて、「おしえたる 粽は千と歳の後までも あしきやまいはたちさりぬとぞ」とそのお礼に粽の製法を教えたといいます。弘法大師直伝の粽は、食べれば病人がたちまち治ってしまう霊験あらたかな「大師粽」として、数多くの高野山への参詣者が求めたといいます。今でも地元の有志の方は、お大師さんの日(毎月20日)に粽や色餅をお供えして、大師を偲びます。
旧道から、またまた国道へ・・・
・・・この道は何度も通っているのに、今回のように意識して探さないと見つけられませんでした。そして、案内看板がなぜ、まったく違う場所に立てられていたのかも理解できました。
■七里石
松明屋を過ぎて小さな橋を渡り、また国道371号線に合流することになります。いくつかのカーブを曲がって約200mほど進んだところ、道沿いにひっそりと「七里石」が建っています。
・・・車の通行が激しいので気をつけて確認してください。