高野街道(73) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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高野街道(73)


「延命寺」から美加の台駅まで再びもどってまいりました。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-きゅう1


ここから「紀見峠」まで坂道を登っていくことになりますが、旧道と国道371号線が複雑に絡み合います。しかも、ウォーキングコースになっているため単車が通れない部分もあったり・・・


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-きゅう2


まずは「千早口」をめざします。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-きゅう3


御所の辻

国道371号線から天見簡易郵便局の方へ左に曲がって、旧道に入り天見川に架かる高橋を渡ると、最初の辻が「御所の辻」です。すぐ近くに二間四面のお堂があって地蔵尊が祀られていますが、不思議なことに線香立てには天皇家を意味する菊と桐の御紋が入っています。これは正平3年(1348年)に、大和賀名生(奈良県五條市)にいた南朝の後村上天皇が、天野山金剛寺に皇居を移すさいに、この付近で一夜を明かしたそうで、その栄光を喜んで村人が「御所の辻」と呼ぶように成ったという説があります。また、ある皇族の姫君が高野山に参詣する途中、この御所の辻のあたりで「神隠し」にあいました。村人が総出で探しましたが結局、見つからなかったので、姫君の菩提を弔うために、御堂を建てて、菊と桐の紋章の使用が許可された……という伝承などもあります。ちなみに「右かうや、左かんこうせみち」と彫られた道標がありますが、「かうや」は高野山、「かんこうせ」は金剛山の事で、ここは高野山と金剛山への分かれ道にもなっています。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-きゅう4


・・・むむむ、こんなところに「薬師寺」?


■薬師寺/河内長野市岩瀬

南海電車千早口駅の北側約200m、山の中腹に融通念仏宗の薬師寺があります。境内には瓦葺(もとは茅葺)の本堂があり、下岩瀬の地域の人々によって守られています。寺院の創建の経緯は明らかではありませんが、かつては観心寺の末寺であったと伝えられています。現在は薬師寺と呼ばれていますが、本堂の鰐口には「薬師堂」と刻まれています。観心寺文書の中に、「薬師堂」についての記述がみられ、明応年間(1492~1500)の戦乱の際に破壊され、天文4年(1535)に再建されたと記されています。五輪塔は薬師寺の北側に建っています。基壇の上に据えられており、砂岩製で高さ106㎝です。五輪の正面に地・水・火・風・空を意味する梵字が刻まれており、地輪の正面には北朝年号である暦応4年(1341)の年号が刻まれています。暦応4年は南朝年号では興国2年にあたります。当時、観心寺領であり南朝のお膝元であったこの地で、北朝年号が使用されたことについては、南朝勢力の弱体化が想定されています。この五輪塔は建てられた年代が明らかなものの中では河内長野最古のものです。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-きゅう5


・・・ここの素晴らしさは、たぶん地元の方しか来られないだろうと思われる「ワビサビ」です。心が静まる(休まる)・・・そんなお寺でした。