東高野街道(41)
蓑の辻を過ぎると・・・
(S)伊勢講の方々が建てられた祠があります。
よくよく見ると、祠の中は「伊勢灯籠」でした。
(T)西念寺
鎌倉時代に創建されたと伝えられていますが、天正年間の兵火に遭って焼失してしまったのだそうです。現在の本堂は、江戸期の宝暦8年(1758年)に再建されたものだといわれています。西念寺には、珍しい『亀石』の伝説があります。
※【亀石伝説】第45代聖武天皇の時代の神亀6年(729年)に、古市で甲羅に『天王貴平・知百年』の文字が刻まれた珍しい亀が発見されたのだそうです。聖武天皇が縁起が良いと喜ばれ、やがて年号は天平に改められたと伝えられています。この亀を見つけた者達は、天皇から多くのほうびや位階を授かり、古市郡の村人たちは1年間粗税を免除されたのだそうです。村人たちはこれを記念して『亀石』を造り、地中に埋めたと伝えられています。昭和54年に西念寺は改修されたそうですが、その時池の底から亀に似た石が発見されたといわれています。その『亀石』は、現在池の中央に安置されています。
(U)真蓮寺
寺伝によれば、もとは蓮花台寺と呼ばれる真言宗の寺院でしたが、暦仁元年(1238)、親鸞が磯長聖徳太子廟参詣の途中にこの寺に寄宿したおりに、時の住職覚円が聖人に帰依し、善念坊の法名を与えられて浄土真宗に改宗したと言われています。その後、南北朝時代の戦いにより焼失しましたが、弘和3年(1383)三世覚行が再興し、覚如上人より真蓮寺という寺の名前をいただきました。この寺は、古市の西念寺、西浦の覚永寺、蔵之内の元勝寺、誉田の勝光寺とともに「河内五ヶ寺衆」と称されていました。なお、明治時代には寺の一角が、古市郡の役所として利用されていました。
(V)地蔵堂としてはなかなか立派で、歴代?のお地蔵様が安置されています。