東高野街道(38)
遺跡や史跡に匹敵する・・・
(G)誉田中学校「円形校舎」/羽曳野市誉田6丁目
上から見ると、ドーナツ状に扇形の教室が配置されている。さらにその内側に廊下と階段がある。屋根はドーム形状・階段は螺旋階段になっているものが多い。建物の外周に廊下が配置されているものもある。その多くが1950年代後半に建てられ、最盛期には全国で約100棟ほど存在した。1954年に最初の円形校舎が竣工した。富士見中学・高等学校(東京)に建てられたものが世界で最初のものとされ、日本はおろか、外国の報道機関までもがヘリコプターで上空から取材をしたという。1950年代後半になると各地で円形校舎が建てられた。しかし、1960年代前半になると採用が少なくなり、1960年代後半になるとほとんど新築されなくなった。1990年代以後には、少数ながら、従来の外観・構造にとらわれない様々なタイプの円形校舎が建てられるようになってきた。現在、その多くが築50年を経て老朽化が進んでおり、解体・廃校により、確実にその数を減らしてきている。存置しているものでも、少子化の影響で教室が余ってきており、本来の用途に使用されていないものが多い。今では採用・流行の経緯と希少性により、建築史における研究テーマとして取り上げられるまでにいたった。
・・・あと数年で誉田中学校が建て替えられます。当然、この「円形校舎」も無くなります。ぜひ、この機会に実物を見ておいてください。
(H)誉田八幡宮/羽曳野市誉田3丁目
御祭神は、応神天皇です。古くから応神天皇陵の近くに鎮座し、御陵祭祀を司ってきました。社伝では、欽明天皇の命により、応神天皇陵の前に社殿を建立したのに始まるとしており、そこから「日本最古の八幡宮」を称しています。
・・・誉田さんで是非見ておいてほしいのは「放生橋」です。鎌倉末期建造の「放生橋」が現存しています。例祭の神輿渡御神事には後円部の祭祀場へこの橋を渡ります。
(i)道標1基「(正面)左ふぢ井寺大坂道(右面)右道明寺玉手山(左面)右いせみち」
道標大「(西面)藤井寺大坂方面(南面)富田林長野方面(北面)柏原大坂方面」
道標小「(西面)右大峯山 つぼさか たゑま(北面)すぐ大峯道」
※ここで「古市街道」と「東高野街道」が合流します。
古市街道は東成郡平野郷町に於ける奈良街道より起り、南向して中河内郡長吉村に入り、同郡大字川邊に於いて大和川を横断し恵我村に入り左岸堤腹に沿い行進すること千餘間にして南河内郡小山村に下り藤井寺村大字岡に於いて長尾街道と合し、又、東南に岐れ本道は南行し同郡古市村大字誉田に於いて東高野街道に連結するものたり。延長二里十七町二十六間、幅員平均二間、奈良街道と略その方向を同じうし、地勢概平坦なれども、河内南部の交通は高野街道により柏原村に出づる捷路あるを以って本道は専平野郷町と古市村との間各村の往来に便せるものの如し。」明治36年大阪府誌より
(j)道標「東高野街道」
・・・ふたたび、ここで旧国道170号線と交差します。