竹内街道(39)
「竹内街道わらべ歌」について掲載されている「大阪春秋」を入手しました。平成13年発行の第103号です。こういう冊子は再版されることもないでしょうから・・・
藤井様には申し訳ありませんが、この「わらべ歌」を広く知っていただくために、記事をそのまま紹介させていただくことにしました。
間違いなく「五軒家の坂」と歌われています。現在では「五軒家」という地名は残っていないようですが・・・
「坂」そのものはゆるいカーブで、「道標」が建っています。
道標の正面には「右大坂さかいミち、左まきの寺さやま」と刻まれています。
道標を建てたのは神南辺隆光(大道心)で、素行の悪い鋳物師で嫌われ者だったようです。その後、悟って仏門に入り、橋を架けたり道標や地蔵を建立したということです。河内から大和、紀伊に至るまで道標、社寺の石碑に彼の名が多くあるそうなので・・・また、調べてみたいと思います。
さて、このゆる~いカーブの「坂」そして「道標」などのロケーションからも、ほぼ「埴生坂」はこのあたりだと特定してもいいのではないかと私は思います。