竹内街道(36)
こんなところに・・・「竹内街道」表示がありました。だんだん薄くなってきています。
その前にあるのが・・・
■羽曳野市水道局石川浄水場
石川を水源とし、羽曳野市の水道供給量の約30%を担う基幹浄水場です。昭和44年に供用を開始して以来40年以上経過して老朽化し、現在更新工事中です。
そして・・・
■金刀比羅神社
その横にあるのが金刀比羅神社です。江戸時代、古市東町一帯は「河芳楼」と呼ばれた旅籠のある宿場町で、「剣先船」や河内木綿の関係者が住んでいました。その安全を祈願して祀られたのが、この神社です。その傍らには「大乗橋」の碑があります。神社の前を大乗川が流れています。
■大乗川
石川の支流。羽曳野市南境付近からの諸流を集め北上、安閑天皇陵の脇で東に直角に曲がり、デルタを介して石川左岸に注ぐ。江戸初期の大和川付け替え前、大乗川は北流し平野川に合流していましたが、高低差を合せるために石川に合流する東向きの流れとなりました。古市で極端に曲がるのは、大和川付替えの際に北流していたのを石川に流すため人工的に曲げたからです。北流していた頃の旧河道は、誉田の応神陵のかたわらに残っています。この川の源ははっきりしません。あるものは丘陵の際から出る小溝、あるものは石川由来の水路で、それぞれ北流し集まっていきます。諸流は古市と西浦の境で集まり、川らしく幅を広げますが、水量はふだん多くなく、砂を溜めた個所には州ができています。
【参考:大水川】羽曳野市から藤井寺市へ流れる川。大和川に流入する際は一旦落堀川に導かれる。現在は古市古墳群付近に源頭を持つ水路で、羽曳野市誉田の応神天皇陵の北付近から北流し、藤井寺市中央部を流れ小山7丁目で落堀川に注ぐ。大水川の流路は、大和川付け替え以前に大乗川が流れていた付近にあたる。現在の大乗川は石川支流。現在も、古市古墳群付近には名残りの水路が見られる。水路は誉田地区を曲折して流れ、応神陵の外堤脇を過ぎて大水川に入る。
■古市渡船場址
臥竜橋から30mほど上流の石川堤防上に、「古市渡船場址」の看板が立っています。対岸への渡船や柏原や大坂へ向かう「剣先船」の船着場がありました。
「臥龍橋」の手前部分わずかですが・・・「大乗橋」なのです。