竹内街道(35) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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竹内街道(35)


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■「竹内街道わらべ歌」



雨は降るふる 古市で

傘を借るかる 軽墓で

馬に乗るのる 野々上で

馬が死ぬしぬ 新田で

コロッと落ちたら五軒家の坂で

金は樫山 もって郡戸(こおず)

煙草一ぷく のむ野村

丹南 松原 麦どころ

一石播いて 八斗どり

せんど歩いて またくらの

前足に 大豆塚でけました



ネットでは以上のように紹介されていましたが、藤井一二三さんが「竹内街道を詠んだわらべ歌」として大阪春秋第103号2001年6月)に掲載されているようです。(詳細は調査中)


さて、この中に「五軒家の坂」と出ていますが、現在の地名としては残っていません。さて「軽墓」は「軽里」だと簡単に想像できますが・・・


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■「軽里」という・・・ふしぎな地名について調べてみました。

昭和初期以前、この地は軽墓と呼ばれていましたが、地名の由来は日本武尊の仮りの墓が転じて『カルハカ』になったといわれていました。しかし、一説には允恭天皇の皇大子木梨軽皇子の墳墓(現白鳥陵か峰塚古墳)があるため軽皇子の墓から『軽の墓』『軽墓』となったともいわれています。

・「軽皇子という名の付く皇族は複数名います。同名の皇子女が多いのは、古代の皇子女は養育されていた氏族や土地の名で呼ばれることが多く、同じ氏族のもと、同じ土地で育てば同じ名前となるためです。

軽(かる)というのは大和の古地名で、現在の橿原市石川町たりだそうです。いまでも軽池などの地名が残っていますが、古代には、この地は交通の要衝で「軽の衢」と呼ばれており、「軽の市」という市も開かれていたそうです。


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■軽墓村絵図

上:延宝5年(1677)

下:延宝9年(1681)


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■「軽羽迦神社

現 在の軽羽迦神社は戦後建てられたもので、最初は白鳥陵古墳の濠の横の祠に祭ってあったとされています。その後誉田八幡宮に一時預けられ、現在は白鳥陵古墳の隣に移されました。今でも白鳥陵古墳の濠の横には小さな祠が残っています。祭神は、天照大神を主神とし、蔵王権現と熊野権現の二神を合祀し、合計三神を祭っています。隣には白鳥古墳があり、日本武尊か、素戔鳴命を祭っているのが当然と思うのですが、全く異質の神が祭られているのには驚きです。


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日本武尊白鳥陵(前の山古墳)

軽里大塚古墳または軽里前之山古墳とも呼ばれています。陵墓名は宮内庁の治定によっていますが、二つの白鳥陵(大阪・奈良)だけが「陵」です。治定されるに当たっての身分は、いずれも「景行天皇皇子」ですが、現行の陵墓名で皇子・皇女の墓に「陵」とついているのはこの皇子だけです。しかも、一つの陵墓に複数の天皇や皇族が祀られている例はいくつもありますが、一人に三箇所(大阪・奈良・三重)の陵墓が治定されている例はほかにはありません。陵墓の治定作業が進められた明治初期から中頃の時期に、記紀に登場する「日本武尊」の存在が、いかに重視されていたかをうかがわせます。


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埴生坂本陵

藤井寺市の青山に所在する野中ボケ山古墳は、羽曳野丘陵の下位段丘に築かれた前方後円墳である。宮内庁は、この古墳を第24代・仁賢天皇の埴生坂本陵(はにゅうのさかもとのみささぎ)に治定して管理している。昭和55年(1980)に実施した調査では、外堤の北西隅付近で周濠とほぼ平行に並べられた4基の円筒埴輪列が見つかった。その場所は周濠の肩から約11m離れていた。埴輪の制作年代は、古市古墳群の中にあっては比較的新しいものだった。昭和56年(1981)の調査では、その埴輪列からわずか数メートル北で2基の埴輪窯が見つかった。段丘の斜面を利用して築かれていた。2基の窯は同時期に操業しており、しかも5~6回の焼成しか行われた様子がない。窯跡から出土した埴輪は堤の上から出土したものとほとんど特徴に差がなく、窯はボケ山古墳の築造を契機に造られたようだ。この窯跡の発見は、大王墓の築造に伴う埴輪の製作と供給のプロセスを明らかにする上で、極めて重要な成果とされている。『日本書紀』は仁賢天皇(億計(おけ))は治世11年の秋8月の崩御し、埴生阪本陵に埋葬したと記述している。江戸時代中頃の河内の仏僧・覚峰の研究によれば、この陵墓のある字名(あざな)をボケ山と称しているが、ボケはオケの誤りである、としている。


・・・「軽里」「埴生」など地名には深い歴史が刻まれていることを実感する。