吉野(6) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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吉野(6)


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-に1


山の上の庭園ですから、そんなに広くないだろうなんて思っていたら・・・度肝を抜かれました。


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もちろん山ですから斜面や坂は多いのですが、なんのなんの平地にある庭園顔負けの設計です。


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さらに、水分(みくまり)神社、山の上の神社ですから小さな祠があればいいかなと・・・


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これまた、度肝をぬかれました。


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吉野水分神社

吉野の奥千本の近いところに山頂を持つ標高約858メートルの青根ヶ峰はいくつもの川を生み出す分水嶺で、古くから「水分(みくまり)の山」と称され、水を司る神の依りつく山として崇められていました。今も中腹には吉野水分神社が鎮まっています。この青根ヶ峰の山頂を見わたすことのできる吉野郡吉野町の宮滝は、青根ヶ峰を源流とする喜佐谷川と山麓を流れる吉野川が合流する場所で、太古の昔から人々が住み着いていたようです。縄文、弥生時代の遺跡も発掘され、斉明天皇二年(656)には「吉野宮」と称される天皇の離宮が造営されています。本来は雨乞いをするための行宮(かりみや)であったとも言われますが、「夢のわだ」と言われるコバルトブルーの淵や、庭園のような峡谷の美しさを宮人たちは愛しました。大海人皇子(天武天皇)はこの地で壬申の乱の兵を挙げ、后の持統天皇は宮滝に三一回も行幸したといいます。よき人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よよき人よく見つ(『万葉集』27)昔のよき人が、良いところだとよく見て「良し」と言ったこの吉野を、よく見なさい、良き人はよく見たものだ──。天武天皇のこの歌は「よし」という言葉を笑ってしまうほど重ねて吉野を祝福し、その言葉の呪力が吉野にさらに特別な力を与えているように思います


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-に6


二度もうれしい期待はずれがあって、だから?「奥千本」へと勇気づけられます。あともう少し・・・がんばりましょう。