うりわり
大阪市平野区瓜破東の「瓜破霊園」のほぼ中央部西部に「瓜破斎場」があり、その西向きの出口辺りには「平和塔」が立っていて門を出たところに「瓜破遺跡」と彫られた石碑があり、説明書きもあります。「石碑には『大和川の河床を中心とする付近一帯の弥生時代の遺跡で、前期から後期にわたる土器をはじめ石器、木器、銅鏃、王莽貨泉などが出土している。』と彫られています。
昭和14年、瓜破霊園を建設の際、墓地の入り口地殻の通称谷池の北側で工事中、地下一メートル余のところに弥生式尖底式土器を発見したのを手始めに墓地中央部から多数の土器が掘り出されました。つづいて、翌15年には、高野大橋の下流約五百メートルの地点を中心として東西四百メートルにわたる大和川の河床から弥生式前期から後期にいたる土器多数のほか、石鏃(せきぞく・いしやじり)、石錐(せきすい)、石小刀(いしこがたな)、石槍(いしやり)、石包丁(いしほうちょう)、磨製石斧(ませい せきふ・いしおの)、磨製石剣(ませい せっけん/いしつるぎ)、環状石斧(かんじょういしおの)などの石器類および、銅鏃(どうやじり)、貨泉(かせん)や各種の木器が発見されました。瓜破遺跡の包含層は、きわめて広大で、その出土品の多いことも日本屈指で、府下弥生式遺構の中でもことに貴重なものだそうです。
2012年10月17日、弥生時代の集落跡として知られる大阪市平野区の瓜破遺跡で、弥生時代前期末(約2400~2300年前)の環濠とみられる溝跡が見つかり、大阪市教育委員会などが発表した。溝は幅3.5メートル、深さ2メートル。大阪市内で同時期の環濠跡が見つかるのは初めて。環濠集落は弥生時代前期には北部九州から東海地方まで分布している。溝の外側には外敵から集落を守る川があり、大阪市博物館協会大阪文化財研究所は「集落を守るというより共同体意識を高めるために掘ったのでは」とみている。
さらに、弥生時代前期末(約2400年前)の腕輪とみられる木製品が見つかった。黒褐色のリング状で、焼け焦げたドーナツを思わせる姿で出土。同時期の木の腕輪は奈良県田原本町の唐古(からこ)・鍵遺跡などで数点見つかっているが、完全な状態で残るのは珍しいという。腕輪は直径10センチ、厚さ4センチで、針葉樹をくり抜いて加工。腕を通す部分は5センチほどしかなく、小柄な女性か子供がはめた可能性もあるという。集落を囲む大型の溝(幅3・5メートル、深さ2メートル)から大量の土器とともに見つかり、集落を移動する際に捨てられたらしい。調査担当者は「木製品は腐食しやすいが、粘土でパックされていたため完全に残ったのだろう」と話している。
父が逝きました・・・享年87歳でした。