人が見たら蛙に化れ(1)
季節に関係なく私のバッグに入っているのは、司馬遼太郎さんの「街道をゆく」いつ読むともなく、さていつ読了するともなく・・・しかし、読書の秋。たまには違った本も・・・と読み始めたのが、白州正子さんの「いまなぜ青山二郎なのか」という本。評論家ではない「目利き」と呼ばれる人たちの感性の匠を知りたくて、これまでに北大路魯山人そして洲之内徹さんをかじってきた。今回は、その3人目「青山二郎」さん。
もちろん青山二郎さんがメインディッシュなのだが、白洲正子さんも気になる存在で、まあ一石二鳥というところ。
■白洲正子
1910年(明治43年)1月7日~1998年(平成10年)12月26日)
随筆家。姉に近藤泰子、夫は白洲次郎。長男は白洲春正、次男は白洲兼正、長女は牧山桂子。多くの関連著作を出している白洲信哉(プロデューサーほか)は孫の一人で、兼正と小林秀雄の娘明子の子である。
■青山二郎
小林秀雄をして「僕たちは秀才だが、あいつだけは天才だ」と言わしめた。「人が見たら蛙に化れ」とは、「俺だけがこの器の良さをわかる、人は蛙と見てくれればいい」。つまり、自分の眼を信じてモノを見なさいという意味合いで、青山が友人や弟子たちに語った言葉。そんな青山の言葉が、ズシリと響いてくる。
15歳 すでに京橋の古美術店で高価な中国陶磁の骨董を一目買いしている。
20歳 中川一政から絵の手ほどきを受ける。
25歳 柳宗悦らと日本民芸美術館設立の要員に。
26歳 我が国最大の中国陶磁蒐集家であった横河コレクションの図録編集を依頼され、5年を費やし『甌香譜=おうこうふ』を刊行。そのコレクションは後に東京国立博物館の古陶磁の主要所蔵品となっている。親交は小林秀雄、中原中也、魯山人、濱田庄司、梅原龍三郎、宇野千代、白州正子など、その学芸サロン的集いは“青山学院”と呼ばれた。結婚は、死別、離婚含めて、4回。職業は古陶磁鑑賞家?生業と呼べたのは余技の装幀家?はたまた“高等遊民”?
青山曰く
優れた画家が、美を描いたことはない。
優れた詩人が、美を歌ったことはない。
それは描くものではなく、歌ひ得るものでもない。
美とは、それを観た者の発見である。
創作である。
・・・これが「目利き」と呼ばれる所以である。とにかく、スゴイ。
■紅志野香炉
白洲正子が生まれて初めて買った骨董だった。その包みに「コレヲ持ツモノニ呪イアレ」と記してあったそうだ。それが青山二郎の書いたものだと、白洲が知ったのは後のこと。その後、青山と知己を得た白洲は、彼の指南を受け、骨董の世界にのめり込むことになる。