会田誠(2)
現代美術家岡田裕子と2001年(平成13年)に谷中墓地で挙式を挙げ結婚した。会田は、岡田裕子の半生を描いたドキュメンタリー風ドラマ『ふたつの女』(監督・ダーティ工藤、2007年)にも出演していた。
ドイツのヨーゼフ・ボイスのように、芸術と社会の関係性を大上段から問いかけはしない。だが、会田作品のすべてに散りばめられた毒は、人びとの意識を、社会を、時代を、びりびりと刺激せずにはおかない。
歴史を塗り替えたものにこそ価値がある――気鋭の共通認識が、欧米で現代アートを花開かせ、美術を衰退から救った。対して「趣味的、感覚的に過ぎるのではないか」と、日本の現代アートを憂う。誰かが波風を立て、風穴を開けなければならない。
「本当は主体性のない人間。そんなしんどいことをやりたいわけじゃない」。確信犯的に、トリックスターを演じているのだ。
テレビに美少女や女性ばっかりっていうのは僕も気になってて。海外ではよほどのことがないと少女って出てこないし、それもかなり必然性があってのところで、日本はちょっと異常だと思う。広告なんかは商品が売れることが善でやってるから、結果としてそのほうが売れるからそうしてるんだろうけど、日本人の性質がいま特にそうなってるってことだよね。まぁ一言で言ってみれば“ロリコン国家”。で、僕の場合、悪の親玉になれるなら敢えてなっちゃってみようかなっていう気もあってロリコンに邁進しておりますけれど(笑)。僕の偏った趣味が公然とこの国家の平均的な人々に受け入れられているのがむしろおかしいかな。
大昔にギョッとしたのが、街中の警察署とか消防署に貼ってある「ダメ、ゼッタイ」ってポスター。何の工夫も無く女の子のバストアップが写ってて、何の関係もないコピーが書いてあるっていう。あれはひどいよね。作ってるのは背広着た真面目な公務員なわけでしょ、そんな国っていかがなものかと思いつつ、ひどいけど分かるっていうか。
笙野頼子っていう純文学でいいオバチャン作家がいて、ハードフェミニストで、「ロリコン撲殺だ」なんてことを声高らかに言ってて。僕はロリコンやってるけど「ロリコン殺す」なんて言われると快感なんだよね。「そうそうそれが言ってほしかった!」って。僕の中で屈折したものがあって。そんなに良いものと思って堂々とやってるものでもないんでね。
さっきの話になるけど、なんでいま日本がロリコン国家になっちゃったかっていうと、男尊女卑の崩壊が理由の一つだと思う。そのベースにある、フロイトがモデルにしたような、男はマッチョで強くて母親は優しくて、みたいな家庭像が戦後崩れてきた。良かれ悪しかれ、世界的に見ても男尊女卑がなくなった国なんじゃないかな。ある意味でフェミニスト的な国家だよね。
『犬』みたいな作品を外国に持っていくと、オバチャンが大体最後に「どうしてこんなの書くんだ」って怒って質問してくるんだよね。しどろもどろに「僕が弱い男だからこうなるんだ」っていうことを言うんだけど、まぁ大体通じないね。
これは作家としての危機かもしれないけど、結婚して子供もいたりすると美少女ものとかも自分としても演技じみてて。例えば『犬』シリーズも一作目を描いた頃は、童貞から抜け出て毛が生えたくらいの頃で、まだそういう部分がどういう形だかもはっきり分からないくらいでね(笑)。その頃と今とではまるでこちらの内面は違うわけだけど、20代半ばからやろうとしてほったらかしにしてた宿題っていうことで今回やってみたんだけど、ちょっと変な心境のまま描いてたね。
・・・とまあ、こんな感じの作家ですから、とても危険きわまりないんだけれど、これからも目を離せないのです。