きひっ(36) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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カエル・ニュース(2)


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■鹿児島からフェリーで13時間、トカラ列島の小さな小さな島から、色とりどりの7匹のカエルが観光協会に届きました。小さな孤島の「Only One Project宝島」で作られたカエルは、環ガエルというんだそうです。環境を考えるカエルというわけです。実は宝島には、いろんな国からいろんなものが漂流してきます。土に還らないプラスティック製品を、このようにかわいいカエルにしたてなおしてくれたのが、環カエルグループの皆さんでした。川内村も都会の喧騒から離れた山の中ですが、南の海で、こんな活動をされている人がいて、しかも川内村を応援していただいているということにびっくりしつつ、感動しています。テレビで川内村の帰村のことを知っていただき、はるばる応援に来てくれた7匹のカエル。今、村のどこに落ち着こうか、村の中を物色中です。どうもありがとうございました。写真は、役場の隣のコミュニティセンターで撮りました。うしろのほうに、うっすら桜が見えます。これ、まだつぼみです。川内村では、桜の季節はまだもう少し先なのです。川内村の「かえるかわうち」は、今回の事故を受けての「帰る川内」であるのはもちろんなのですが、川内村とかえるには、深い縁があります。村には天然記念物の、モリアオガエルが産卵する平伏沼という沼があります。そしてカエルの詩人、草野心平さんが村に通うようになったのが、昭和30年代のことでした。村には、心平先生と村人の絆である天山文庫があり、先生は晩年までこの書斎に通われて、川内村をこよなく愛しておられました。帰村のニュースで全国的に有名になっている川内村ですが、川内にとっての「かえる」は、帰村でなくモリアオガエルであり草野心平先生です。今はすっかり帰村の村となっていますが、本来のカエルの村に還れる日が一日も早く訪れますように。


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■草野心平(1903年(明治36年)5月12日 - 1988年(昭和63年)11月12日)

日本の詩人。福島県上小川村(現・いわき市小川町)出身。

1928年(昭和3年)、活版刷りとしては初の詩集となる『第百階級』を刊行。全篇が蛙をテーマにしたものであり、以後も、この生物を扱った詩を書き続けた。

1950年(昭和25年)には、「蛙の詩」によって、第1回読売文学賞を受賞。

1953年(昭和28年)、福島県川内村長福寺の住職矢内俊晃の招聘で同村平伏沼にモリアオガエルを見に行く。

1956年(昭和31年)、平伏沼畔に心平の歌碑が建立される。

1960年(昭和35年)9月、川内村名誉村民となる。

1966年(昭和41年)7月、川内村名誉村民の章として天山文庫が建設され、その後毎年7月に天山祭りが開催されるようになる。

初期の作品を除くと、ほとんどの詩において、文末に句点が用いられている。そのかわりに読点はほとんど使われていない。『第四の蛙』から『侏羅紀の果ての昨今』まで新仮名を採用していたが、それ以前と以後は旧仮名である。

「蛙の詩人」と俗に言われるほどに、生涯にわたって蛙をテーマとした詩を書きつづけた。この分野では、蛙の鳴き声がさまざまなオノマトペで表現されている一方、いくつかの前衛的な試みが行われている。たとえば「冬眠」を構成するのは黒丸1文字のみである。また、「Nocturne. Moon and Frogs」「天気」などでは絵画的な手法が用いられている。


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蛙について心平は『第百階級』のあとがきで「僕は蛙なんぞ愛してゐない!」と叫んだことがあった。実際、蛙についての詩作をやめようと思ったこともあったと詩集『第四の蛙』の「覚え書I」にはある。1948年(昭和23年)に『定本 蛙』を出したいきさつについて、「もう蛙も年貢の納めどきだろうから」と語っている。しかしその後も心平は蛙の詩を書くことを止めなかった。

『第四の蛙』の最初の後書きである「覚え書I」は1961年(昭和36年)1月に書かれた。すぐに出版されたわけでなく、蛙に関する詩を作り続けた結果、同年10月に「覚え書II」を残すことになる。詩集では、最初の覚え書と2番目の間に8篇の詩が書かれている。その後も蛙の作品をいくつか作り、結局、「覚え書III」「覚え書IV」を入れて、ようやく1964年(昭和39年)に出版された。出版によって「一応の終結」(「覚え書IV」)をみせたと語りながら、「III」の中では再び蛙の作品を書きたくなったと告白している。「IV」においては、蛙の詩に「終り」をつけようとしながら、一方で「蛙に関する詩がこれで終ったとは言い切れないような気がする」とも書いている。そして、蛙のモチーフはこの後、『こわれたオルガン』や『太陽は東からあがる』などにも現れ、最後の詩集『自問他問』にも2編の詩がある。「かへるのコはかへる」「性・性」である。

この生物に関する詩集を4冊(『第百階級』『蛙』『定本 蛙』『第四の蛙』)残しているが、蛙の詩群は、心平の詩作品の全てではない。富士山をはじめとした山についてのもの、海に関するもの、シルクロードを扱ったもの(詩集『絲綢之路』はこれを集めたもの)もある。


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■天山文庫

福島県川内村にある社会教育施設。詩人・草野心平を記念して建設された。草野心平の蔵書が多数格納されている。他の図書館と同様、本の閲覧や貸出が可能。福島県いわき市出身の草野はモリアオガエルが縁になり、1956年に初めて川内を訪れた。以後、度々同地を訪ね、村人たちと交流を続ける。1960年、名誉村民になったのをきっかけに、草野の蔵書が村に寄贈、文庫の建設が決定した。設計を建築家山本勝巳が担当、村人たちの手により建設が進められ、1966年7月16日に落成した。建物は茅葺屋根の民家風。毎年7月に、天山まつりが行われる。


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■名取の県農高、カエルの石像帰る生徒「うれしい」/宮城

名取市の県農業高(704人、白石喜久夫校長)仮設校舎に、東日本大震災で被災した校舎の校門前に置かれていたカエルの石像が帰ってきた。生徒らはカエルの頭をなでながら、久しぶりの再会を喜んだ。石像は、高さ約50センチ、幅約60センチ。十数年前に「生徒たちが無事に登下校できますように」という願いを込めて設置された。東日本大震災でも流されず、同校OBの石材業者が保管していた。石像は、仮設校舎玄関前に設置され、早速生徒たちと記念撮影。園芸科3年の武田陽介さん(17)は「無事に帰ってきてくれてうれしい」と話していた。(6月25日毎日新聞・朝刊)


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■おもいでかえる

この度、東日本大震災以降にがれきの中から拾って頂いた写真や思い出の品々を被災者の皆様の元へお返しするため、「おもいでかえる」という団体を立ち上げました。結成メンバーは、仙台市の写真洗浄に長く携わっており、また仙台市の洗浄に携わる以前には、他地域での洗浄に半年間携わっていた者・画像処理を行い写真の復元作業を行なってきた者をはじめ、洗浄のノウハウと写真全般的な知識を持っております。生活支援が急がれる中、置き去りになりがちな精神的支援について、これらの写真をはじめとした思い出の品々の返却が、復興・復旧に向けた被災者の皆様の心の支えに必ず繋がると感じております。また、被災者の皆様のご要望としても活動の継続を求める声が数多く寄せられており、未洗浄の写真の早急な対応、まだ持ち主の元へ戻されていない写真や思い出の品々の対応に、今後も長期的に携わっていきたいと考えております。


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■復興を願うカエルがズラリ

神奈川県海老名・中新田在住の伊東元一さんが、東日本大震災で被災した子どもたちに送る予定の「復興カエル」を製作している。縦・横・高さが約5cmの立体カエル。折り紙や広告のチラシなどで出来ており、1体に手掛ける時間は15分から20分。裏には子どもたちに向けてメッセージが書かれている。(2011年10月 7日)