防災・危機管理アート(2)
■和RING-PROJECT
東日本大震災で被災し多くを失いながらも、ふるさとに残る事を誓った若者と、仮設住宅で生活する女性や高齢者の方々が、ひとつひとつ手作りで作る作品を、皆様の元に届ける事。ふるさとに残る人々の支えとなり復興支援を行う事。人と人のつながりの大切さを尊重し、世代、性別を超え、支えあえる人間関係を築き上げる事。
(1) 被災者の仕事を創出するための事業
(2) 地域におけるコミュニティの再生ならびに構築に資する事業
(3) 地域における生活再建、生活環境の改善、地域経済の自立に向けた事業
(4) 地域における心身の健康増進および生きがい創造に資する事業
(5) 前各号を実現するために必要な人材を育成する事業
(6) 前条各号の目的と志を一にする地方公共団体、NPOその他関係諸機関との連携による前各号の事業あるいは支援
(7) その他本法人の目的を達成するために必要な事業
■大槌町の書道家、高橋卓也君に書いて頂きました。
私達の活動を知り、大槌町出身の書道家、高橋卓也君に【和】の文字を書いて頂きました。【和】、【禾】はガレキを表し、【口】は立ち上がるイメージ。人との繋がり、平和への思いが込められています。
■中学生書道家・高橋卓也
左手で筆を握りしめ、手首をくねくねさせて紙の上を滑らせる。高橋卓也君(12)は盛岡市に住む中学1年生の書道家。一発で作品が決まることもあれば、給水とトイレに立つ以外、8時間以上書き続けることもある。紙はA3サイズのコピー用紙。すずりは料理用のステンレスボウル。誰に習ったわけでもなく身に付けた「卓也流」はユニークで、柔らかく、力強い書体が見る者をひき付ける。始まりと言えば、1歳にもならないうちに、おばあちゃんの筆ペンをおもちゃ代わりにしていたこと。1日10時間、ずっと字を書いて遊んでいた。「凧(たこ)を空に舞い上げたら、どんな感じだろう」。3歳のとき、青空に浮かぶ姿を思い描きながら書いた「凧」の字。母親が応募したカナダのモントリオール国際芸術祭・書道の部でグランプリに輝いたのだった。昨年3月に起こった東日本大震災。親戚が多く住み、自身が小学生になるまで過ごした岩手県大槌町も大きな被害を受けた。「自分なりに何かやらなきゃ」。知り合いの子供落語家がチャリティー活動をするという。そこで、「襷(たすき)」の字を書くことにした。「山を越えて人々がつながっていく」。こんな思いを込め、ひたすら筆を握った。若き書道家は、また別の顔を持つ。近所に家電量販店ができると「ディズニーランドができたみたい」と大はしゃぎ。週に4回は通うという「家電好き」だ。3歳の時にビデオデッキをばらして壊した。「壊し方が上手だったから叱らなかった」と母親の貞子さん(48)。それからも機器の仕組みを探ろうと、分解した家電は数知れず。「今年はパソコンを壊したい。でも父ちゃんに怒られるかも」。楽しそうな卓也君を貞子さんは温かく見守る。でも壊すばかりではない。いろんな機器を抱えて、週末には被災地の大槌町に通っている。変わりゆく景色、町で出会った人や親戚のおじさんをビデオカメラで撮影し、パソコンに保存する。自宅に戻ると編集作業。楽しく仕立ててみんなの前で披露するのが楽しみ。「喜んでほしいから」。卓也君にとって「書くこと」「撮ってみせること」は、どちらも自分の気持ちを伝える大切な表現方法なのだ。昨年7月、震災で仕事を失った人たちが、がれきを使ってキーホルダーを制作・販売するというプロジェクトに卓也君も参加した。「つらいことから飛び立てるように。そして、世の中がまーるく平和になるように」。思いの詰まった「和」の文字が刻まれた。鎮魂と復興を願い仙台市で開かれた「東北六魂祭(ろっこんさい)」では、祭りの顔になる題字を任され見事にこれをしたためた。岩手の広大な自然と両親の深い愛情に包まれて育った卓也君。将来は「書道家(卓也流)をやっていられたらいいな。大槌町に音楽ができるホールも造りたい」。小さな野心家の夢は筆の先、はるか遠くまで広がっている。
■浜のミサンガ「環」
震災後、浜の男性たちには、漁業施設の復旧、瓦礫撤去や工事の手伝いなどの仕事が少しずつ生まれてきましたが、水揚げの手伝い、カキやホタテの殻剥きなど、浜の仕事を元気よく手伝ってきた女性たちの仕事は未だ生まれず、途方にくれているのが現実です。そんな中、生来の働き者でもある浜の女性たちが、浜の漁具を使った手仕事を始めました。浜のミサンガ「環(たまき)」づくりです。「環」とは、日本古来のブレスレットの呼称。一つひとつ漁網で編んだオリジナルのミサンガは、明日の活力(仕事)として、被災者の女性たちが中心となって作り始めています。ミサンガの販売代金1,100円(1セット・税込)のうち、材料費や販売経費、諸経費を除いた、1セットあたり約576円以上(現状の試算です)が彼女たちの工賃になります。また、制作する女性たちに材料を届けたり、製作の指導をする、地元の方々にも、1セット当たり80円以上が支払われます。ミサンガのモチーフとなる漁網(ぎょもう)も三陸で調達します。地元の方々に少しでも多くの、手仕事での収入を届けることができれば、との思いで始まった取り組みです。最初にこの漁網を見つけたのは三陸町・越喜来の漁網工場でした。倉庫にあった未使用の漁網をご提供いただき、ミサンガデザイナーやプロジェクトチーム、そして地元の浜のお母さんたちと試行錯誤の上、ようやく生まれました。手先が器用な方は、網のミサンガを。まだ初心者だから入門編でいい、という恥ずかしがりの女性は、細いミサンガを。という風に避難所でワイワイ楽しくはじまりました。漁網自体は切加工が難しいため、網に馴れた地元の若い漁師の仲間たちが漁網を一括で仕入れ、切加工をした上で生産者チームに「材料」として供給しています。漁網は、「いわし漁」など比較的小型の魚の漁に使われる網。もちろん、未使用品を使っています。
■「三陸に仕事を!プロジェクト」は仙台放送、岩手めんこいテレビ、博報堂、の3社が共同で設立した。被災地では、がれき撤去等の男性向けの力仕事はあるものの、女性向けの仕事がほとんど無く、3社が女性のために仕事を提供したいという思いから企画された。仕事の条件として、三陸沿岸に多く住む高齢の女性でもできる作業、仮設住宅や避難所生活の中でもできるような手仕事、を模索するうちに、高台の倉庫に、漁で使う漁網が大量に残っているのを発見、漁網を利用したミサンガを製作し、販売するという企画がスタートしたという。4月末からインストラクターが避難所に赴き、ミサンガ作りを教え始めるが、最初はなかなか主旨を理解してもらえず、作り手は20~30人だった。しかし、練習会を繰り返すなどの努力をしてゆくうちに、現在は253人もの作り手が作業を行っている。すべてが手作業で生産個数に限りがあるため、期限を区切って販売しており、第1シーズンの5月11日~7月10日の約2か月間で5658セット、第2シーズンの7月11日~9月10日で30683セットを売り上げた。
ミサンガ購入者にとって、自分たちが商品を購入した金額が、確実に作り手に渡っていることが分かり、被災地支援につながっていることを実感してもらえるように、収支はプロジェクトのサイトで公表している。作り手の女性には1本作るごとに576円が入り、プロジェクトの事務局スタッフは「被災者の支援で大事なのは、お金はもちろんですが、“仕事を通してお金を得る”というやりがいをいかに感じてもらうかというところ。仮設住宅や避難所で生活をしていても何もすることがないという状況は辛いし、高齢者にとっていい方向にはいかないんです。働いて得たお金で、例えば孫にお菓子の1つでも買ってあげられる、こういうことで気持ちもいい方へ向かっていけていると思います」と、プロジェクトの効果を感じているという。
キーホルダーそしてミサンガ・・・
「つくること」が「生きる」こと。