えへっ(97) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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ぼくら(10)


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東日本大震災から9ヶ月・・・


■阪神から東北へ、「希望の灯り」が完成

東日本大震災の被災地の鎮魂と復興を祈るモニュメント「3・11希望の灯(あか)り」が完成し、10日、岩手県陸前高田市小友町の箱根山で点灯式が行われた。モニュメントは、神戸市で阪神大震災からの復興のシンボルとなっているガス灯「1・17希望の灯り」がモデル。陸前高田市民らが台座などを手作りし、灯りは神戸から分灯された。


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■「ボクらの阪神・淡路大震災―中学性170人の証言」

あれから1年・・・忘れてほしくないことがある。忘れちゃいけないことがある。「がんばろうKOBE」被災地の中学生170人の熱きメッセージ。「進研ゼミ」中学講座に寄せられた、阪神・淡路大震災被災地の中学生の文章で構成。たくさんの悲しみを体験した彼らもボランティアを通して多くのことを学び、やさしさに触れた。そんな感動が伝わる本。


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■「僕らの音楽」/フジテレビ

フジテレビ系列で放送されている音楽番組。新聞のテレビ欄では「僕の音楽」と表記されることがある。2004年4月3日に『僕らの音楽 Our Music』としてスタート。2005年4月1日の第2期から、放送時間が移動し『僕らの音楽 Our Music 2』と改題。第3期の2006年4月には番組名からサブタイトルが外れ、『僕らの音楽』へと変わった。演出・題字:板谷栄司。


●板谷栄司

フジテレビジョン編成制作局バラエティ制作センターのテレビプロデューサー・ディレクター。音組所属の音楽番組演出家。趣味は釣り。近畿大学附属高等学校、東京学芸大学教養学部芸術学科書道専攻を卒業、1993年フジテレビ入社。現在までフジテレビ内において、類い稀なる音楽畑を突き進む釣りバカ男である。

『僕らの音楽』演出、板谷栄司。この番組の世界観を見事に体現している題字を書いたのは、他でもない、板谷本人である。高校一年の夏、突然始めた書道。大学でも書道学科を専攻し、現代書道の模索に驀進した。「下宿の近くにあったハンバーガーショップの2階で深夜に勝手に展覧会を開催したり、卒業式会場の隣のでかいホールで"卒業式より面白い展覧会"をやったり」していたそうだ。そして、その当時行なわれていたフジテレビの"一芸一能採用"にエントリーし、"文字"を使った作品の数々を作品集と共にアピール。見事合格した。『僕らの音楽』は、丁寧に作りこまれた上質な番組として定評があるが、その演出の根底にあるものは、音楽番組とは一見かけ離れたものに見える"書道"にある。「『僕らの音楽』の画面構成は、"書"の空間づくりと同じ。今の私の基本にあるスタイルは、"書"を通じて検索し続けた学生時代があるからだ。」ちなみに、「楽屋のお茶うけ」というお菓子のパッケージのロゴも板谷によるもの。


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■「ボクらの選択」/フジテレビ

3月11日 東日本を襲った大地震で様々な人々の人生が変わりました。地震、津波、放射能。次々と押し寄せる災禍に我々は翻弄されました。スポーツ界にも、この震災で今までとは違う人生を歩むことを余儀なくされ、新たな生き方を「選択」した人々がいます。「モンゴル人横綱 白鵬」「福島県相馬高校 男子バレー部の生徒たちと家族」「プロバスケットボール bjリーグ 仙台89ers」番組ではこの3つの取材対象に密着し、震災後の人生を追います。果たして彼らの人生は震災後どう変わったのか?そしてその道を「選択」した訳は…。またこの番組では街頭インタビューを通じて「街の声」を紹介。視聴者のみなさんに「自分だったどうするか?」を考えて頂けたら幸いです。


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ひとりぼっちの「ボク」ではなく・・・


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一人ひとりの「ボク」が集まって、「ぼくたち」「ぼくら」なんだということを、あたりまえなんだけど、もう一度。