ぼくら(5)
(1)「手のひらを太陽に」/作詞:やなせたかし・作曲:いずみたく
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 笑うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから うれしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
トンボだって カエルだって
ミツバチだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから おどるんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 愛するんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
スズメだって イナゴだって
カゲロウだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
●1961年、作詞者のやなせは『木島則夫モーニングショー』の前身である『NETニュースショー』の台本構成をしており、番組内に音楽を流すコーナーがあった。そこで自身で作詞した「手のひらを太陽に」を、知り合いであったいずみたくが作曲し発表したものである。歌は、いずみの推薦により宮城まり子が歌った。1962年、ようやくNHK『みんなのうた』への売込みが成功し、宮城まり子とビクター少年合唱隊の歌で放送された(映像はやなせたかし自身製作のアニメ)。その時、歌はあまり反響もなくヒットしなかったが、1965年にはボニージャックスが歌ってキングレコードから発売され、暮れの『第16回NHK紅白歌合戦』で歌唱したこともあり、大きな反響を呼び現在のように広く知られるようになったものである。1966年にはボニージャックスの歌で、改めてNHK『みんなのうた』で放送された。作詞者のやなせは、「厭世的な気分になって追い込まれていた時のことです。暗いところで自分の手を懐中電灯で冷たい手を暖めてながら仕事をしていた時に、ふと手を見ると真っ赤な血が見える。自分は生きているんだという再発見と、その喜びを謳歌して頑張らなくちゃと、自分を励ますためにこの詞を作った」と述懐している。作詞者のやなせによると、元々は童謡ではなくホームソングを作るつもりで書いたという。手話バージョンも制作されている。歌詞の中でアメンボが出てくるが、これは当初はナメクジであった。
●千葉県船橋市「海老川遊歩道」には、「海老川橋」を越えたあたりからいくつもの橋が架かっています。順に「万代橋」、「栄橋」、「丸山橋」、「九重橋」、「新海老川橋」。総武線の鉄橋をくぐると、「太郎橋」、船橋市中央卸売市場を通り抜け、R9にさしかかると「富士見橋」・・・ と続き、夏見町と東町の境界に沿って上流へ、桜並木の通りにも何本かの橋が架かっています。「栄橋」(昭和64年1月完成)には、橋の欄干に「手のひらを太陽に」の楽符がデザインされています。橋の中央にあるモニュメントは、曲の主題そのままに生命への讃歌を高らかに象徴するものとなっています。清々しいイメージとともに、生きとし生けるもののすべての生命に対する尊さを 改めて思わずにはいられません。こうしたテーマが、船橋市の目指す市民生活の目標と合致したのでしょう。昭和64年???とは、1月1日から7日まで、1月8日からは平成元年です。1988年(昭和63年)には、高知県香北町スポーツセンターに詩碑「手のひらを太陽に」が完成しています。
(2)「僕らはみんな生きている」/原作:一色伸幸
メディアミックス作品。漫画版と映画版がある。山本直樹作画で、1992年より小学館のビッグコミックスピリッツに連載された。軍事クーデターで政権が何度も入れ替わるアジアの架空の発展途上国(タルキスタン)に、日本から1人の建設会社サラリーマンが橋の建設プロジェクトで長期海外出張に赴く。そこにはライバル社も参加しており、発注を受けるために様々な手を尽くそうとする、仕事第一民族の日本人を自虐的に描いている。
(3)「ぼくラはミンナ生きテイル!」/Tiv
広い世界のとある町、美森町。この町は人知れず人と獣が共存する・・・何も知らずに転校してきた大賀美心に待ち受ける運命とは。美麗イラストレーターTivが描く、 人×獣な??学園コメディ。
(4)「僕らはみんな生きている」/著:坪倉優介
2001年に刊行されたノンフィクション手記。テレビ朝日で2003年9月18日にスペシャルドラマとして映像化され、ヒューマンドラマ・スペシャル内で放送された。突然の交通事故。病院のベットで目覚めたら、食べることも、寝ることも、トイレに行くことさえも忘れていた・・・18歳で人生をゼロから始めることになった青年が書いた感動の手記。二度と戻らない記憶。あたらしい自分と向き合いながら生きて、草木染職人として独立するまでの12年間の軌跡。
(5)「ぼくらはみんな閉じている」/著:小川勝己
9つの短編から紡ぎだされるのは、歪んだ愛情から生み出される狂気。表題作の「ぼくらはみんな閉じている」は、謎の中年男に監禁され暴行を受け続ける直樹。男は直樹が交際していた愛美の知り合いで、愛美が自殺したことへの復讐を遂げようとする。しかし、男のいう愛美と直樹の恋人愛美が同一人物とは思えない。何かの間違いではないかと思いつつ、極限状態でたどり着いた答えは思わず笑わずにはいられないものだった。狂気に加え、「ぼくらはみんな閉じている」という題名そのまま、対人関係の心理といったテーマも描かれる。「ほんとうのぼくなんて、この世にはいないのだ。ぼくがぼくと思っているぼくと、愛美が思っているぼくは、まったくの他人だ。」ミステリあるいはホラーとして設定の妙よりも、淡々とした客観的な描写にストーリーテラーとしての作者の力を感じさせる短編集。
このような「パロディ」風のネーミングは結構多いようです。