えへっ(88) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

ぼくら(3)


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-あやめ1


・・・小学校低学年の頃、私は兄そして叔父たちと「あやめ池遊園地」に遊びに行った。もちろん、首には「フジペット」を得意そうにさげていたわけである。記念撮影をしようと、カメラをかまえて「ワンツー」アクションで・・・ところが、「ワン」でみんなが動いたものだから・・・撮り直そうと言っても誰も応じてくれなくて、ベソをかいてしまった。その動き出したところの写真と、私がベソをかいているところの写真が古いアルバムにキチンと納められている。それは、兄や叔父たちの笑い話のネタにされているのである。


■近鉄あやめ池遊園地

奈良県奈良市あやめ池北一丁目9番1号(近鉄奈良線菖蒲池駅下車北口すぐ)にあった遊園地。近畿日本鉄道の子会社であった近鉄興業株式会社(現在は解散)が運営していた。大阪電気軌道によって開発された。敷地面積約30万m2。天然の菖蒲上池を中心に遊戯施設やボウリング場、動物園(県下唯一)などを配置。また、2003年まで近鉄の傘下だったOSK日本歌劇団の常設小屋として円形大劇場があり、団員養成施設の日本歌劇学校もあった。また、大阪電気軌道(現:近鉄奈良線)開業時の車両デボ1形電車(近鉄では唯一の公式保存車両)も保存展示されていた。USJ開業や少子化等で来場者が激減したうえ、近鉄グループのリストラも重なり、2004年6月6日で閉園、78年の歴史に幕を下ろした。運営していた近鉄興業は閉園とともに解散し、同社が運営していた生駒山上遊園地は近鉄グループの他の会社が引き継いだ。動物は他の遊園地に、遊戯物も多くは加森観光が引き取り、同社が所有する遊園地に移転したほか、おとぎ列車が生駒市の幼稚園に譲渡された。他にも一部の遊戯物が京都府の笠置キャンプ場に移転、活用されている。大軌デボ1形についても近鉄五位堂検修車庫(奈良県香芝市)に移転・保存された。遊園地跡には2008年から近鉄あやめ池住宅地が開発されている。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-あやめ2


・・・さて、現在の自宅から最も近いのが「玉手山遊園地」であった。


■近鉄玉手山遊園地

大阪府柏原市玉手山町にあった遊園地。近畿日本鉄道の子会社である近鉄興業株式会社(解散)が運営していた。1908年(明治41年)に河南鉄道(現在の近鉄南大阪線ほかを建設した)によって開園以来、西日本で最も古い遊園地として多くの市民に愛されたが、近年に入ると入場者の減少や交通の便の悪さもあり、1998年(平成10年)5月31日に閉園となった。閉園間際の入園料は、おとな500円・こども300円・のりもの乗り放題(にこにこパス)700円(おとな・こども両方とも)・入園+のりもの乗り放題(にこにこパスセット)1000円(おとな・こども両方とも)であった。閉園後は、敷地を近鉄が柏原市に提供して柏原市立玉手山公園として、広く市民などに無料開放している。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-あやめ3


・・・もはや、であるが「玉手橋」は健在なので、せめてもの記念にと撮影にでかけた。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-あやめ4


■玉手橋

大阪府を流れている石川に架かる吊り橋。1928年(昭和3年)当時の大阪鉄道(現:近鉄)が、道明寺村(現:藤井寺市)側にある道明寺駅から石川対岸の玉手村(現:柏原市)側にある玉手山遊園地への通行路として設置したが、現在は主に柏原市内の玉手山西側の地区から近鉄道明寺駅を利用する通勤・通学者が利用している。長さ151m・幅員3.2mの5径間吊橋で、径間は18.1m - 38.1m - 37.9m - 38.5m - 18.9mとなっている。主塔と橋台は鉄筋コンクリート製であるが、部分的に装飾を兼ねたレンガで補強されている。上路部は鉄製トラス補剛桁でアスファルトで舗装されているものの、架橋構造は典型的な吊り橋である。したがって、渡るときに少々揺れを感じる場合がある。なお、本橋は歩行者・自転車専用である。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-あやめ5


1928年(昭和3年)当時の大阪鉄道により開設される。戦後、管理は当時の国分町(現:柏原市)に引き継がれる。1998年(平成10年)玉手山遊園は閉園となった。のちに整備の上で「柏原市立玉手山公園」として再開した。2001年(平成13年)吊り橋としては日本全国で初の国の登録有形文化財となった。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-あやめ6


文化財として登録されたので、当分の間はこの姿をながめることができる。