えへっ(87) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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ぼくら(2)


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ぼく1


・・・昭和育ちの「ぼくら」にとって、「ぼくら」とは「ぼくら」なのだ。


■『ぼくら』

かつて講談社から発行されていた月刊漫画雑誌である。1954年12月創刊(1955年1月号)、1969年10月号で休刊。同時に創刊された雑誌が『なかよし』。創刊当初は『少年クラブ』との二枚看板で幾多の競合誌を相手に奮闘したが、1960年代後半の週刊漫画雑誌の台頭に抗しきれず、休刊。直後の1969年11月に『週刊ぼくらマガジン』として再出発を図った。末期の人気作品であった「タイガーマスク」は、同新雑誌の看板作品として連載を継承した。


・・・そして、あの有名な歌が聞こえてくる。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ぼく2


■「少年探偵団」/昭和31年ラジオ番組

作詞:壇上文雄/作曲:白木義信/唄:宮下匡司、上高田少年合唱団

ぼぼ 僕らは少年探偵団

勇気りんりん るりの色

望みに燃える 呼び声は

朝焼け 空に こだま する

ぼぼ 僕らは少年探偵団

ぼぼ 僕らは少年探偵団

力ようよう 海の色

夢も高なる 呼び声は

真昼の空に こだま する

ぼぼ 僕らは少年探偵団

ぼぼ 僕らは少年探偵団

誓いはかたく 鉄の色

明日をめざす 歌声は

月夜の空に こだま する

ぼぼ 僕らは少年探偵団


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■江戸川乱歩/1894年(明治27年)10月21日~1965年(昭和40年)7月28日)

大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家・推理作家である。また、戦後は推理小説専門の評論家としても健筆を揮った。実際、岩井三郎探偵事務所(ミリオン資料サービス)に勤務していた。本名は平井太郎。筆名はアメリカの文豪エドガー・アラン・ポーをもじったものである。日本推理作家協会初代理事長。位階は正五位。勲等は勲三等。


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・・・「少年探偵団」の七つ道具として「カメラ」は入っているが、実際のカメラの種類はわからない。ただ、当時の少年たちにとって入手できたであろうカメラは「フジペット」なのだ。


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■フジペット

1957年秋の発売で、左右のレバーを1、2の順に押すだけで手軽に撮影することができる6cm×6cm判カメラ。シャッター速度は標準と高速(1/100ぐらい?)のみ、絞りもお天気により3通りに変えるシンプルな仕組み。定価は2980円、当時のカメラはどれも1万円以上したから画期的な安さで、やっと豊かになりはじめた日本の家庭で、小学校高学年や女性に人気があった。1963年までに、後に出たフジペット35も含め、100万台近くを販売し、カメラの販売記録を作ったという。


・・・実は、この「フジペット」には忘れられない思い出がある。